「響け!ユーフォニアム」ソリに選ばれなかった久美子の是非【最終回ネタバレ】

この記事は

「響け!ユーフォニアム」アニメ第3期の感想です。
ネタバレあります。

原作と異なる展開を見せた第3期終盤

原作の武田綾乃先生のポストから情報を追って知ったことですが、原作とアニメ3期では大きく展開が異なっていたそうです。
僕自身原作未読ですので、詳細は知りませんが、黒江真由と黄前久美子のユーフォニアムのソリを巡るオーディションの結果について、原作では久美子が勝ち取ったとのこと。

原作と異なる展開。
更には、主人公のクライマックスでの見せ場が「奪われた」こと。
腑に落ちない視聴者が出て当然かと思います。
僕自身、やはり久美子に勝って欲しかったし、その上で北宇治のゴールド金賞という最高の結果を見届けたいという気持ちがありました。

けれど、気持ちも落ち着き、色々と考えて…。
このアニメの展開は、これはこれで素晴らしいものであったのだなと受け入れています。

久美子がソリに選ばれなかったことが、どういった意味を産んだのか。
持論を書きます。

吹奏楽部は「真の団体活動」である。

最初に記しておきますが、これは原作の展開を批判するものではありません。

 

吹奏楽部の演奏。
それは、真の意味での団体活動であるという認識を持っております。

コンサートメンバーに選抜された1人1人が同じ方向を向き、1つの目標に一丸となって邁進する。
完全なる一枚岩であり、そこに不純物は紛れてはならない。
そうすることで、一部の狂いの無いハーモニーを奏でることが出来、真の栄冠へと至る。

机上の空論。理想論。
果たしてその通りではあるけれど、「全国大会でゴールド金賞」を目指すには、これくらいの志は、少なくともエンタメの世界では欲しいものである。

こういった意味で、吹奏楽部は真の意味で団体活動なのである。

そもそも現実でも、他の団体種目とは異なります。
例えば野球。
例えばサッカー。
これらは団体競技であり、かつ、ある一面に置いては個人競技でもあります。
チームとしての優勝がある他に、個人の成績に関する賞が用意されているからです。

野球で言えば、最多勝、奪三振王、本塁打王、打点王、etc…

吹奏楽のコンクールに於いて、このように個人を表彰することがあるでしょうか。
ソロコンサートを別とすれば、ありませんよね。
やはり、他の団体競技とは一線を画すものと捉えられます。

こうした中で、「不穏分子」であるところの真由を不穏分子のままにしておいても良いのか?
現実では、「良い」。
上に掲げたものはあくまでも理想論。
「奏者1人1人が自己を犠牲にしてでも部を優先させて、ひたすらに栄光を目指して邁進する」なんてことは、ほぼ無いでしょう。
強豪校ならあるかもしれませんが、それこそ「補欠」部員まで含めたら考えにくい。

ただし、エンタメ世界ではやはり「無し」なのです。

真由を本当の意味で仲間にすること。
これがアニメスタッフから部長である久美子に課せられた最大のミッションであったのではないでしょうか。

真由を仲間にしつつ、視聴者をも納得させる絶妙な脚本

とはいえ、主人公である久美子からスポットライトを奪うというのは、やはり視聴者の反感を買いやすい。
原作既読者からの反発は特に想像に難くなかったであろう。

だからかどうかは知りませんが、兎に角「久美子が落ちても反感を産まないようにする工夫」が散りばめられていました。
足掛け9年間のシリーズの「これまで」を活かした工夫です。

その最たるものが久美子と麗奈の絆でした。
どうも久美子と真由のソリを巡る再オーディション自体アニメオリジナルの展開のようですが、この再オーディションが、久美子と麗奈の絆を象徴するものとなりました。

顔を隠し、誰が演奏したのか分からないようにした再オーディション。
純粋に音だけでの「実力勝負」。
挙手の結果は、麗奈を除いて同数。
勝敗は麗奈に委ねられ…。
結果は言うまでもなく、麗奈の票によって真由のソリが確定した訳ですが。

この場面、視聴者にとって最悪なのが「麗奈が久美子を選ぼうとして、真由を選んでしまった」というオチ。
誰ひとりスッキリとすることなく、モヤモヤが残ったはずです。
「実力主義」を貫くことを約束していた久美子と麗奈の仲も悪化し、真由も「ほらやっぱり実力主義なんて口だけなんだ」と心を閉ざしていたかもしれません。

誰も幸せにならない最悪の展開。
しかし、それを2人の絆で回避。

ここは見事だったよね。
作画も演技も演出も。
非常に美しかった。

久美子の音をしっかりと分かった上で、実力主義を貫き、真由を選んだと吐露する麗奈。
しかし、それでも、それでも久美子と吹きたかったと涙を流す。

久美子も、麗奈なら自分の音を聞き分けた上で、「より良い演奏を選んでくれる」という確信があったと返します。
それで良かったのだと。
しかし、それはそれとして、久美子もまた麗奈と吹きたかった、悔しいと泣きます。

最っ高でした。
ここまでされると、もうね仕方なかったのだと諦めが着く。

実力主義を標榜し、最後の最後まで貫いた久美子と麗奈。
この2人だからこそ、過去の苦い思いから真由は報われ、真の意味での仲間となった。

久美子が選ばれないという悲劇を視聴者に納得させつつも、久美子の心意気で真由は救われた。
本当の意味での北宇治が1つになれた。
この一連のシークエンスは、非常に見応えがありました。

顧問として活きる経験

部長として、部を纏め上げ、見事全国でゴールド金賞を取り、有終の美を飾ってから数年後。
久美子は、母校・北宇治高校で教職に就いていた。
それも、吹奏楽部の副顧問も務めていて。

個人的には、久美子のこの「将来の姿」には驚きを隠せなかったのですけれど、松本先生からすると予想通りだったようですね。
さて、この久美子の将来像を知り、ようやく本当の意味で腑に落ちました。
久美子がソリに選ばれなかった経験が、ここで活かされるのだろうなと思ったからです。

高校の部活の顧問に必要なことって何だろうか?
必ずしも正答は無いかもしれない。
教師(顧問)によっても、または部活によっても変わってくるとも思う。

なので、あくまでも私見としてですが、僕は技術も大事だけれどそれ以上に「導く力」が大事だと考えます。
換言すれば「生徒を納得させる説得力」ですね。

十人十色。
1人1人個性があって、考え方も、部活への姿勢や取り組み方も異なる。
そんな「烏合の衆」を纏め上げて、1つの目標に真摯に向き合う集団へと導かなければなりません。
繰り返すようですが、フィクションの世界での理想上では。

「全国大会金賞」を部として目標に据えてても、個々人の腹の内までは分かりませんよね。
大小様々な問題に直面するのは、どんな時代でも変わらないはずです。

そんな時に、久美子の経験が活きてくるんですよ。
全国大会優勝を目指し、部長として部を引っ張った経験が。

実力主義を貫いた。
ソリを吹きたいと本気で頑張った。
ライバルに負けて、悔しさから涙を流した。
悩み、苦しみ、もがき、走り抜けた3年間。

栄光も挫折も味わった久美子は、勝者としての立場も、敗者としての立場も経験したからこそ、どんな相手にも寄り添えるし、自分の言葉で伝えられる。
久美子の言葉には、間違いなく説得力が籠るんです。

もしも久美子がソリに選ばれていたら、彼女はソリに選ばれなかった悔しさを知ることが出来ませんでした。
そのことで顧問として相応しくないとはならないけれども、知らないよりも知ってる方が強いじゃあないですか。

歴史は繰り返すもの。
顧問を続けていけば、これまで久美子が経験したことと同様の問題に、今度は顧問として直面することもあるでしょう。
その時に、しっかりと生徒達を導ける顧問に久美子はなれるんだと思う。

久美子がソリとしての晴れの場を飾れなかったことは、久美子を好きな自分としては残念だったのは確か。
けれど、最後の最後まで見終わった今は、納得も出来ました。
負けたことも糧として、久美子の未来に繋がるのだろうなと思えたのだから。

終わりに

9年間。
テレビアニメシリーズ3シーズンに本編映画2本(長編と中編それぞれ1本ずつ)。
そして、スピンオフ映画1本。
リアルタイムで視聴できたことが、とても良かった。

大事件があっても、久美子の物語を完結させてくださった京都アニメーションの皆様に謝辞を。
ありがとうございました。

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