「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」 第6話 印象に残す「理由」と残さない「理由」

この記事は

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」第6話の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」。
待望の第6話「理由 リリルカ・アーデ」。
“待望”でありました。

実は僕は、第1話以降は今作をBS11で視聴していました。
毎週日曜の0時放送なんですが、録画予約もそちらでしております。
理由は私的な事なんですが、他の番組と被っていたからです。

だけれど、今週は別です。
現在原作2巻のエピソードなんですけれど、そのクライマックスにあたるのが今回の6話。
とっっっても見たかった回なんです。
とてもじゃありませんが、日曜まで待てません!!
ってことで、裏番組を無視。
TOKYO MXで久々に視聴致しました。

あああああああ。
良かった。
やっぱり良い。

どん底に居た子が救われるカタルシス。
堪らない。
こういうの大好き。

最も大事な「理由」

では少しだけ感想を。
サブタイトルである「理由」について振り返ってみます。

「理由」といっても色々ありますね。
6話で言えば
1つ。 何故ベルはリリを助けるのか。
1つ。 何故リリは盗賊行為をするのか。
1つ。 何故ソーマファミリアの冒険者は、異常な位金に固執しているのか。
この中で、何が一番大切なのか。
スタッフは何を一番に持ってきているのか?

サブタイトルで「理由」と書いて「リリルカ・アーデ」と読ませているのですから、2番目ですよね。
盗賊行為をするのは何故か?
それも冒険者ばかりを狙って。

と言う訳で、アバンで現状のリリに関しての理由が語られてました。
原作ではもう少し詳しく書かれてたりしますが、アニメという事でバッサリと要領だけ掴めるようになってましたね。
そんな中で僕が「イイ!!」と思ったのが、この部分自体を頭に持ってきた点。

原作では、ベルからヘスティアナイフを奪った直後にあったんですが、先の「最も語りたい点」を考えるとこの位置が最適だと思います。

印象に残りやすいじゃないですか。
リリはこう云う境遇だったんですよと初めに印象を植え付けられやすいというのかな。
「リリが冒険者をターゲットに盗賊行為を繰り返す理由」が最初に語られていて、この後のリリの行為がスッと入ってくる。

少し補足するのであれば、リリの両親もまたソーマファミリアの冒険者だった点。
冒険者の子供は、子の意志に関わらず親が属するファミリアの構成員となる。
故に、リリは生まれた時から彼女の意志に関わらず、冒険者若しくはサポーターになる運命であったと。
冒険者としての才能も無く、両親も幼い時に死んでいる。
ファミリアの面々は、同じファミリアの構成員を蹴落としてでもお酒の為に金を集めるという醜悪な者ばかり。

Aパート冒頭の「ソーマファミリアの実態」と併せて、リリがどれだけ世界から孤立していたのかが分かる構成。

こういう話は、極論を言えば助ける側の心情描写って不要だと考えます。
何故助けたのかという理由は要らないんです。
ヒーローが人を助けるのに理由なんて無いって言う理屈。

実際ベルはリリにそう言ってますよね。
「女の子だから」って。
女の子を助けるのに理由は要らないって。

助けられる側に感情移入出来た方が絶対的に面白いし、だから、スタッフがリリの理由に焦点を当てて来てくれたのは僕的に凄く良かった。
彼女の心理描写に重きを置いてくれたことがね。

敢えて印象を薄くしていた「理由」

小説って情報量が滅茶苦茶多いです。
心情描写で溢れている。
これをそのまま尺の決まっている映像に落とし込むと、物凄く時間が必要になります。
4話、5話と見て来て、「滅茶苦茶カットしてるな〜」と感じていましたもの。
重要な感情描写やシーンをセレクトして、必要最低限を描いているという感じで。

例えばですね、6話ではリリがベルにバゼラードを贈るシーンがありました。
バゼラード自体は重要なアイテムでは無いので、このシーンをカットしても問題は無い。
ヘスティアナイフをベルがどこに持っているかの方が重要なので、それをチラッと絵なり台詞なりで補完しても良かった。
が、原作からわざわざこのシーンをセレクトしたのは、この短いシーンでベルがリリをどう想っているのかを表現する為ですよね。

リリは一度ヘスティアナイフを盗んでいます。
落としたと考えていたベルは、ナイフを取り戻した後に「二度と落とさない様」にエイナから貰った防具内に収めていました。
リリはというと、そのせいでナイフを盗み辛くなったんですよね。

さて、6話のこの時点でベルは「ナイフはリリが盗んだかもしれない」とヘスティアから忠告を受けています。
ベルはバカではありませんので、「そんな事は無い、リリは盗んでなんかいないや」なんて考えてません。
「そうかもしれない」とリリが盗んだであろう可能性を認めていました。

その上で、貰ったばかりの「重要ではない」バゼラードをプロテクター内に収納して、「大事な」ヘスティアナイフを「リリに盗まれた時と同じ腰についた鞘」に仕舞った。
再び盗まれるかもしれない箇所にわざわざ仕舞ったんです。
リリとすれば、バゼラードを贈った思惑通りなんですけれど、ベルはそんなリリを信用しての行為だったと分かります。

「本当に盗んだのなら、また盗ませてあげれば良い。
そうじゃ無いんならそれで良い。
どちらにせよ、リリを信じて、そして助けるんだ。」

実際に助けたシーンと併せて考えれば、このバゼラードのシーンからそういうベルの意志が読み取れます。

少々脱線しましたが、こんな感じでちゃんと大事な点は描きつつ、そうじゃないと判断された点はオミットされている。
で、今回ちょっとだけ印象を薄くされていたのが「ベルの助けた理由」です。

何故ベルはリリを助けたのか。

リリだから…では納得出来なかった人も居るんじゃないかな?
なんてお人よしなんだと。

お人よしであることは確かなんですが、ベルの心優しい理由が原作では克明に描かれているんですよね。
簡単に書けば、ベルは自分とリリを少々ダブらせていたと。
孤独で辛そうな境遇がヘスティアと出会う前の自分と重なっていた。
これはアニメでもちゃんとありました。

大事なのはこの後。
原作の台詞を抜粋します。

「神様だって、寂しかった僕を助けてくれたじゃないですか?」
「間違っていたならそれでいいんです、でももし間違っていなかったら……今度は、僕があの子のことを助けたい」

ヘスティアが「ベル君は、自分が受け取った優しさを誰かに返してあげられる子」と評しているのですが、まさにという理由。

アニメだけだと、お人よしか、若しくは、「自分と似ていたから」というだけの「理由」と解釈されちゃうかもしれません。
間違ってはいないんですけれど、もう少ししっかりとした理由があったんですよというお話。

ベルの助けた理由。
先に書いたように、僕にとってはリリ側の理由の方が大事だったので、ここを敢えて印象薄くしていた判断には納得でありました。
勿論原作のように、ベルの「助けた側」の理由も克明にされていた方が物語的にはずっと良いのは確かなんですけれど。
限られた時間で表現しないとならないTVアニメという媒体に於いて、優先順位を付けなければならないのであれば、この6話のような感じが僕好みかな。

終わりに

ちょろっとツイッターで感想を拝見してました。
リリを陥れたソーマファミリアの冒険者には何の罰も無いの?という感想がちらほら。
8話か9話か10話か分かりませんが、その辺まで視聴されると溜飲が下がるんじゃないでしょうか。

個人的にはちょいエグイと言うか…。
やり過ぎ?感もありましたが…。
自業自得なのかな…。

ネタバレ気味の発言ですね。
ごめんなさい。

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