"2人の主人公"視点から見直す「スタードライバー 輝きのタクト」

この記事は

「スタードライバー 輝きのタクト」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

映画化&BD-BOX発売決定記念記事〜♪
という訳で、現在TOKYO MXで再放送中の「スタドラ」を見ているのですが、いや〜面白い。
ついついBD-BOXの予約もしちゃうってものです。

さて、改めてこの作品を思い返してみますと、非常に多くの要素が詰め込まれた作品であったなと。
当時は、それらに翻弄され、本質をしっかりと捉える事が出来なかったと自己分析。

序盤は特に独自設定を解釈する事に追われ、中盤から後半にかけては、四方の巫女の悲劇性たっぷりのドラマに浸ってしまい、終盤でのヒロイズム溢れるタクトの活躍に目を見張り…。
やはり本質を見れていなかったと思うのです。

とはいえ、本放送から時が経ち。
録画していたデータもとうに消してしまい、ディスクも所持しておらず、僕の頭の中の記憶もぼやけて来ている。
そんな状態で、本質を見出せるかというと、かなり無理な事です。
というか、例えしっかりと記憶に合ったり、全話見返せる環境にあったとしても、作品の本質を見極める事が出来るとは思えないのですが…。

それでも、そんな難題にこの度チャレンジ!!という事で。
「スタドラ」に関しての考察です。

ヘッドは最初の主人公

多くの要素がぎゅうぎゅうに押し込められていた本作。
先ずはそんな”無駄な”贅肉を削ぎ落してみるのが、本質に迫るには肝要かと考えます。
そうすると、最後に残るのが「王(スガタ)と四方の巫女を呪縛から解き放つ事」だと思います。
作品ではこれを、タクト、ワコ、スガタの3人の友情話として象徴的に描かれていましたが。

では、この5人の島に囚われし者たちを”解放する”人物は誰なのか?
タクトがそうであることは、疑う余地の無い事ですよね。
ただ、この作品は、やはりどこまで行っても単純には出来ていない。

僕は、この役割を綺羅星十字団。もっと言うと、ヘッドことミヤビ・レイジ(ツナシ・トキオ)が務めていたのではないかと考えました。

ヘッドのやっていた事は、まあ、己が欲を満たさんがためだけの行為であり、本人にそんな意志は無かったと思われますが、結果的には3人の巫女を長い呪縛から解放させました。
また、スガタにキング・ザメク復活への道しるべを付けたのもヘッド。

キング・ザメク復活というのは、どうしてもスガタを解放させるには必須な事だったと思うのです。
スガタをシルシの運命から解放させるには、彼が死ぬか、キング・ザメクが二度と復活しないレベルまで破壊するか。
その二者択一だったと推測されますので。
当然、タクトが前者を選択するわけはないので、必然的に後者一択となる。

このようにして、ヘッドは、3人の巫女の解放並びにスガタの解放への切欠を作ったと言えます。

真の主人公は遅れてやってくる

ヘッドが自己中心的な野望を持っていなかったら。
あるいは、この作品がダークヒーローものであったなら。
また違った結末を迎えていた気がします。

要するにヘッドが、ワコの封印を解きスガタを亡き者にする事で、ヘッドを主役とした「王(スガタ)と四方の巫女を呪縛から解き放つ物語」として決着していたのでしょう。

けれど、この作品はどこまでも眩しい青春を送る若者達の明るい物語。
タクトが主人公なのです。

終盤になってようやく「王(スガタ)と四方の巫女を呪縛から解き放つ物語」の主役がタクトになります。
ワコとスガタを救う為にタクトがいるとすれば、このタイミングでの”主役交代”は当然のように思えます。

自己犠牲を以てワコ(や世界)を救おうとしたスガタを助ける為。
ワコを自由にする為。
ワコの封印を解き、ザメクを破壊せしめた。

ここに物語が完遂したと。

“第一の主人公”が途中まで物語を推し進め、しかし、作品全体のテーマとはかけ離れた野望の為に、”第二の主人公”にバトンが渡される。
入れ子構造を形成しながらも、2段階に分けて作られていたんじゃないかな〜。

ミズノ編だけを切り取ると「巫女の封印を破ろうとする綺羅星十字団」の行いが酷く悪い事のように見えます。
封印を破られた際のミズノのリアクションとか、とっても痛そうというか辛そうというか…。
悲劇性に満ち満ちていたので。

でも、そんなミズノも封印が破られた事で幸せな結末を迎えたし、ヘッドが破った他の2人は能動的に封印を破っているように見えます。
3人ともヘッドによって救われたとも見えるのです。

ただ、ワコだけは違いました。
ワコは、自身の封印が破られる事よりも、その後の結果を考えて「封印を破られないように」していたので、ヘッドにだけは破られる訳にはいかなかった。
そう言う意味でも、彼女だけはヘッド以外。
「自身の封印が破られても、安心できる」人物だけが彼女の封印を解く事が許されていた。

巫女の立場から見ても、ワコの封印だけはタクトが解かないといけなかったんじゃないでしょうか。

まとめ

2人の”主人公”となったタクトとヘッド。
この2人が親子関係というのもまた面白い。

青春譚につきものなのが、「親超え」要素かなと思う。
親であるヘッドが成し得なかった事を、タクトがすいすいと成し遂げていく。
“初代主人公”を打倒して、タクトが主人公に成り替わるという意味でも、青春譚として見ても意義の見出せるキャラ設定だったと思うのです。

多くの要素に目移りしてしまい、文字通り翻弄された初見。
全ての謎が解かれ、物語の全体像を把握してから見直すと、また違った物語に見える気がします。
そう言う意味でも、映画が総集編らしいというのは、良い事なのかもしれません。

スタッフが選りすぐった大事な場面だけを繋げた総集編。
贅肉が省かたものになるだろうから、作品の本質もスッキリと見通せそうですし。
物語的にも、最終回後の展開はなかなか難しそうですし、色々な意味で総集編とはいえ楽しみな映画となりそうです。

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