実写「かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~」何故ここまで原作を破壊できるのか【感想】

この記事は

実写映画「かぐや様」の感想です。
ネタバレしてDisってます。

はじめに

見てもいないのに批判しないのは好きじゃありません。
漫画の実写は地雷ばかりとは言っても、稀に当たりだってあります。
全体的には駄目でも、きらりと光る美点だって見つかるかもしれません。
そういうのは、しっかりと自分の目で見てみないと判断できないことです。

他人の意見は所詮他人のものでしかなく、自分の感想というのは、結局のところは自分で見るしか生まれないのです。

だから、この感想も僕個人の感想です。
面白いかどうかはご自分の目で確かめてから判断してくださいませ。

僕にとっては、良いところを1つも見つけられなかった作品でした。

究極の原作クラッシャー

河合勇人監督の映画はこれで3度目となりました。
1度目の「俺物語!!」は面白かった。
2度目の「ニセコイ」はただただ演出が寒かった。
3度目の「かぐや様」は原作クラッシャーだった。
なんだかどんどんと僕の中の評価が下がっていってるんですよね。

とはいえ、「映画」として見れば、少なくとも「ニセコイ」よりかは良かったとは思っています。

絶望的に下手なコメディ演出はただただお寒いものであって、苦笑いすら出来ないものでした。
脚本は原作を踏襲しつつ、オリジナル要素を持たせて映画として一先ずの完結までを描いており、その点評価されるべきものでした。
しかし、それ以上に演出(特に前半部分)が酷過ぎて「最後まで見よう」という気力を根こそぎ奪っていくので、全体の評価としては非常に悪いものだったのです。
原作ファンはおろか、誰が見ても一定のつまならさを誇っていた映画というのが、僕個人の認識。

その点、今回はそこまで滑った演出は無かったです。
勿論巧くもなく、やはり寒さは健在でしたけれど、それは僕が原作ファンだから。
「初見者」視点で見れば、脚本含めて可もなく不可もなくという感じだったと思います。
純粋に「あ~笑った」で終われる映画であったんじゃないでしょうか。
実際周りの観客の方々の反応は上々だったように感じました。そこかしこで笑いが起きてましたしね。
キンプリの平野さんや橋本環奈さんなどキャスト目当てで、原作漫画を知らないって方であれば十分に楽しめる映画になってます。おそらく。

でも、僕は原作ファンだから、ファン目線で見てしまってました。
すると、非常に残念な映画としか言いようがありませんでした。
ある種「ニセコイ」を超えて来たのだから、本当に大したものだなと思います。

作品の持つ笑いを理解して欲しい

ドタバタ王道コメディである「ニセコイ」は、奇をてらった演出なんか必要ないんですよ。
特に笑わせようとはせずに、古めかしい設定のありふれた物語を今どきのキャラクターで描いている作品なので、演出だってベタな王道で良かったのです。
そこを無視して、無理矢理に笑わせようとしてきていたから、作品の笑いに合っていなくて、寒風吹き荒れるものになっていたのです。

今回も一緒。いや、尚悪い。

「かぐや様」の笑いのツボは、先ず独特のナレーションにあります。
状況を端的にズバッとした言葉で上限していくスタイルは、今までありそうでなかった斬新なスタイル。
初期の「ちびまる子ちゃん」(アニメ1期)のキートン山田さんのようにキャラに直接的なツッコミを入れてくるわけじゃないんだけれど、ナレーションで笑いを取ってくるスタイルは似ています。
あくまでも影役。
主役であるキャラクターを立てつつも、言葉で笑いを取ってくるナレーションは、今作には無くてはならない存在です。

当然ファンは「ナレーションの再現」に期待してるんですが、ここに河合監督の悪いところが出てしまっていました。
今回ナレーションを担当されていたのは佐藤二朗さん。
佐藤さん特有の演技は、人によっては見ただけで笑いがこみあげてくる中毒性の高いもの。
もうね、佐藤さんってだけで濃いんですよ。
喋り方に、癖が出まくっている。主張してくるんです。
しかも、尚悪いことに、地を出してくるスタイルを採用。
巨乳がどうとか、水着ギャルがどうとか。
本当に勘弁してほしかったです。
影であるナレーションにキャラを持たせてどうするんだと。

その癖、殆どナレーションが無く、冒頭にちょろっとある程度。
原作の再現どころか無視しつつ、かつ、キャラを持たせて表舞台に立たせる始末。

笑わせよう、笑わせようという演出が、最低な形で顔を覗かせておりました。

脚本、お前もか

何故「生徒会選挙編」まで踏み込んだし…。
原作が折角「花火の音は聞こえない編」(勝手に命名。このサブタイトルめっちゃ好きなんです)という節目を用意しているんですよ。
素直にここで終わっておけば良かったものの。

アニメと同じ結末を嫌がったのか。(古賀葵さんを出演させておいて)
紛いなりにも告白を描きたかったのか。
スタッフの本音は知ることはできませんけれど、これは悪手ですよ。

ただでさえ時間が限られている映画。
キャラクター描写の不足分をより際立たせて、良いことなんかある訳がありません。

どんな名作も、やはりキャラクター描写の積み重ねが大切だと僕は考えています。
小さなことをコツコツと積み上げていって、キャラクターに深みが出るからこそ、彼らが動く世界の物語に感動を覚えるのです。

花火のエピソード。
白銀を格好いいと思えましたか?
かぐやの気持ちに寄り添って、切なくなれましたか?
キャストの顔とか演技とか無視して考えると、僕はどちらの質問にもNoなんです。

かぐや視点で、娘をなんとも思っていない父との関係を描きつつ、本家(父)の使用人から外出を固く禁じられるからこその悲しみ。
かぐやにとって、千花や石上がどれだけ大切な存在なのか。
白銀との出会いがどれほど掛け替えのないものなのか。
そういうのを含めた上での悲しみをキャラ描写が不足しすぎていて、全く感じられませんでした。

千花、ただの生徒会の女子ってだけじゃないですか。
かぐやから見てどういう存在なのかが1ミリも語られてませんでした。
石上、かぐやから殺意を持たれただけじゃないですか。
ただの拗らせ陰キャになっていて、そもそも彼の良さ・面白さがスポイルされていましたが、かぐやとの関係性もあまりにも希薄。

彼らがかぐやの為に、タクシーを捕まえて、一緒に東京からアクアラインまで行って。
房総の花火に間に合え、間に合えと祈る姿に共感を覚えられるかというと、否です。
よほど想像力逞しく、補完力を鍛えている人でない限りは、あの場にいる必要性を感じられなかったんじゃないでしょうか。

「生徒会選挙編」はこの映画には全く不要でした。
もっとキャラを絞って、生徒会メンバー4人だけのエピソードをしっかりと扱ったうえで、クライマックスに花火という構成で十分でしたよ。
渚カップルいらない。
白銀家も不要。
かぐやの名も無い執事達はもっと不要。(どんぐりさんとかキャラの立った配役は不要だから…)
佐藤さんは出しちゃ駄目でしょ。

笑いの話に戻りますが、今作のもう1つの笑いのツボは、キャラクター自身が担っています。
天才のかぐやと秀才の白銀。
彼ら2人の恋の駆け引きがだんだんとアホっぽくなっていくところで、恋に落ちていく様子を表現し、かつ、笑いに転嫁している。
そんな2人を千花と石上がかき乱すのが非常に笑えるのですが…。

キャラクターをしっかりと描けば表現できていた笑いが、シナリオで欲張っていた為、全く活かされていませんでした。

終わりに

僕は河合監督とは合わないみたいです。
好きな原作なだけに期待していたんですよね。
ここまで残念な気持ちになるとは…。

最新情報をチェックしよう!