「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」 感想

この記事は

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

無性に感想を書きたくなるような映画でした。
ただ、非常に判断が難しい。
つまらなかった訳では無いですし、絶賛したいとまではいかなったのは事実ですし。
賛否両論渦巻いているという評判を聞く本作ですが、僕自身の中で賛否両論って感じなんですよね…。

ちょっとずつ整理しながら書いていきます。
この記事には、今作は勿論の事、現在公開中の映画「グランド・イリュージョン」の重大なネタバレを含みます。
両作とも事前にネタバレを知ることで興が削がれる可能性の高いタイプの作品です。
承知の上、この先にお進みくださいませ。

誰の物語だったのか

とある2つの勢力のぶつかり合いを主眼とした作品がある場合、こういった類の作品を描くには、両サイドの重要キャラそれぞれに焦点を当てる必要性が生じます。
何処の誰とも分からないキャラ同士の対決を見ても、観客は興味を示さないからですね。
感情移入も出来ませんし、盛り上がりも無い。
魅力的に描くには、どうしたってキャラの掘り下げは必要になってくる事です。
主人公側の掘り下げは、どんな作品に於いても必須ですし、それをしていない作品の方が少ない。(探せば意図的に主人公を掘り下げていない作品もあると思います。)
問題は、相手方ですね。
こちらもきちっと描いてこそ、対決は魅力を放つと考えております。

で、もしも対決を主眼とした作品で、どちらか一方の勢力のキャラクターしか掘り下げが行われていないのであれば…。
かつ、その作品には物語構造的に「裏」が隠されている事が明示されているのでしたら。
これは意図的に行われていると見るべきではないか。
そう考えます。

さて。
「グランド・イリュージョン」という映画が「まどマギ」の前日から公開されています。
4人のマジシャン集団「フォー・ホースメン」がアメリカ・ラスベガスでのショーの最中に、フランスはパリにある銀行から現金を盗み出すというマジックを披露。
この事件の捜査にFBI特別捜査官であるディランとインターポール捜査官・アルマが挑むというクライムアクションムービーです。

盗賊と警察と言う分かりやすい対決構造を採用しているこの作品は、あらすじからもお分かりの通り、2つの勢力として「フォー・ホースメン」と国際警察が登場している訳です。
物語は基本的に警察側のディランの視点で語られていきます。
映画タイトル(邦題)、番宣、メインポスターからは「フォー・ホースメン」を主役とした作品に見え、実際にそのような形式であるとは思うのですけれど、いかんせん、「フォー・ホースメン」側の掘り下げが少なかったりします。
全体的にディランと彼の相棒となるアルマの描写に多くの時間が割かれ、「フォー・ホースメン」との対決にイマイチドラマが少なく見えちゃうんです。

普通であれば物足りない部類に属する可能性が高くなっちゃうんですけれど、僕の今のこの映画に対する感想は「面白かった」なんです。
というのも、映画序盤から「5人目のフォー・ホースメン」。
つまりは、黒幕の存在が提示されていたからです。
物語は、この「5人目」が誰なのかが折に触れ示され、観客は常にその事を意識づけられるんです。

結論から書けば、5人目がディランでした。
FBI捜査官として「フォー・ホースメン」を追っていたはずの勢力の筆頭が実は「フォー・ホースメン」側の人間だったのです。
この事実を「フォー・ホースメン」自体が最後まで知らなかった事もミソなんですけれど、それはさておき、これで「フォー・ホースメン」側の掘り下げが無かったのも頷けました。
ディランの目線で描かれた本作は、ディランの為の物語だったことが分かったからです。
映画1本の時間は多くが2時間弱。
この時間内で物語を紡ぐには、ちょっと物足りない長さです。
「フォー・ホースメン」を掘り下げることは可能だったかもですが、それをやると本筋である「ディランの物語」が掠れてしまったかもしれません。
「見せたい事」に集中し、他を削ぎ落したと分かったから、僕は面白い作品だと感じたんです。

つまりは、対決を描いた物語に於いて、敵対する勢力のうち、どちらか一方しかキャラの掘り下げがない場合。
その作品が最も描きたいのは対決ではなく、その掘り下げられているキャラクターの物語なのでしょうね。
これを意識すると、例えば「グランド・イリュージョン」の5人目が誰なのかは、すぐに分かると思います。

うん。
偉そうに分かった風に書いてますけれど、実は僕はこの「ディランが5人目」という事実に驚いたクチです(笑
普通に「え?マジで」とか呟きかけた程。
マジックショーを見てる気分で楽しんでいたら、意外な事実に驚かされちゃったw
だから、上の事は上映終了後に物語を振り返って気付いた点ですね。

長くなりました。
「まどマギ」の感想。
TVシリーズが無かった場合(TVシリーズを一切見たことが無かった場合)のお話を。
つまり「この映画だけで本作全てが描かれていた」と見る場合、今作も「グランド・イリュージョン」と同様の構造を取っていたのかなと。

タイトルだけで分かる様に今作の主人公はまどかです。
これは、何も知らない人でもタイトルだけ見れば分かるコト。
でもこの映画本編では、そこまでまどかの描写って無いんです。
まどかは勿論、他のキャラの掘り下げも少なく、唯一序盤からほむらにスポットが当たっていました。
主人公なのに、掘り下げがない。
これは最終盤の布石に使われていたように解釈しています。

TVシリーズから見ていれば、必ずしも映画内でのキャラの掘り下げって必要ないんですよね。
僕自身TVシリーズをきっちりと見ている人間ですから、誰がどういうキャラかは理解した上で鑑賞しました。
けれど、この映画が初めてだった場合、やはりどういうキャラなのか深く理解出来なかったと思うんです。
分かりやすいのが、佐倉杏子がどういう子なのかという点。
ほむらが「最も違和感を覚えた」事として杏子の性格の違いを本人に告げてましたけれど、ここを理解出来るかどうかはTVシリーズを見ているか否かが関わってきます。
TV初登場時の彼女からしたら「違うキャラ」に見えますけれど、さやかの為に命を投げ出した終盤の「本当の彼女の姿」からすればそこまで違ってなくて。
でもこの辺の事って、映画が初見だと分からない点ですよね。
映画だけでは杏子のキャラの掘り下げが少なかった証左と言えるんではないでしょうか。

本作だけでこの作品が語られているとした場合は、やっぱり、ほむらのみに焦点が当たっていました。
故に、今作はほむらの物語だったと解釈出来ます。

対決構造に目を転じます。
魔法少女戦隊が「ナイトメア」と呼ばれた悪者を倒す物語として描かれ、しかしながら、「ナイトメア」側の描写はありません。
喋らないので当然なのですが、この時点でナイトメア側は事実上の「敵」では無い事が窺えます。

物語が進むと、この物語の裏には黒幕が居ることが示唆されます。
先程書いたように「ナイトメア」側に焦点が当たってない以上、こちら勢力に黒幕が隠れている可能性は消えます。
唯一スポットが当たっている魔法少女戦隊の中に居るのではとなる。
じゃあ、5人のうち誰なの?といえば、唯一掘り下げられていたほむらしか居なくなってしまうんですよね。
「映画内で掘り下げが少ない他の4人ではインパクトが少ない」ですから。
多くの人が、こんな事考えずに、自然と「ほむらが黒幕なんだろうな」と思ったんじゃないでしょうか。

実際その通りという事が分かり、物語は驚きの展開を迎える訳ですけれど、ラスト直前にほむらがまどかに言います。
「何れ貴方の敵になるかもしれない」(正確では無いです)的な事を。
対決構造に着目すると、作品本来の主人公であるまどかの敵が生まれた物語とも解釈出来そうです。
“敵”であるほむらを主人公とした物語と分かり、やはり、今作はほむらの物語だったという結論に帰結します。

ところで、ほむらの物語として見た場合、大きな疑問があるんです。
彼女はどの時点で、今回の結末を考えたのでしょう。

ほむらの心情について

物語として、何度かどんでん返しが用意されていた訳ですが、ほむらの心情からすると結構無理があったように感じました。
ほむらが自身が魔女化してしまった事に気づき、キュゥべえと対決。
キュゥべえから全ての真実を聞かされ、キュゥべえの意図に気づいたほむらは、自ら魔女化を推し進めました。
目的は、キュゥべえを滅し、まどかから遠ざけるコト。
自分の命すら投げ出して、キュゥべえからまどかを守ろうとしたわけです。

この事は、しかし、まどかが助けます。
事前にほむらを守るべく、さやかとベベ(なぎさ)を「ほむらの世界」に送り込んでいたまどか。
2人の協力の下、魔女化したほむらを鎮めることに成功し、まどかは「1人ぼっちになっていた」ほむらを救済しに来ました。

この作品は、まどかに救われる事が魔法少女にとって唯一の救済であるという結末でした。
まどかの為に生き、まどかの為に呪われた魔法少女をやり続け、まどかの為に戦い続けたほむらにとって、自分しかまどかの事を覚えてない世界というのは相当苦痛だったことでしょう。
中盤で彼女自身がこの苦しさを吐露していました。
魔法少女としてただ1人生き残り、まどかと別れてしまい、それだけでなく唯一まどかの記憶を持ったままになっていた。
「ほむらの救済の物語」として、「なんて素晴らしい映画なんだろう」と感じていたんですよ。
まどかの救済って死みたいなもので、普通に考えればバッドエンドなんですけれど、魔法少女にとっての死と言う概念は形骸化してますからね。
普通に死ねなくなっていて、人として死ねることが幸せみたいな感じだから、ハッピーエンドと見做せる。
だから、良い結末だなと思っていたら、唐突にほむらが悪魔堕ち(?)するんですからね(汗

まるで、最初からこの時を待っていたかのような口ぶりでした。

ここがどんでん返しで、僕が違和を覚えたシーン。
まどかが自分を救いに来るという事をいつ予測出来たのでしょうか?

考えられるのは、全てが彼女の計算通りだった場合ですね。
キュゥべえの行動も予測して、まどかの事も信じて、自らのソウルジェム内に世界を構築すれば、あのような展開になると考えていたのではないでしょうか。
ただ、実行する上でまどかの真意は知りたかった。
もしもまどかが自分のやろうとしている事に反する考えを持っていたら、まどかに救済されて終わっていた気がします。

そうならなかったのは、中盤あたりのまどかとほむらのやり取り。
「1人ボッチは絶対嫌だよ」というまどかの言葉を受け、何が何でもまどかを今の立場から”救い出す”決意はこの瞬間に生まれたのでしょうね〜。
もしここで、まどかがこういう事を言わなかったら…。
ほむらがまどかの”敵”になる事はなかったかもしれません。

それにしても、執念ですね。
まどかとしては、「アルティメットまどか」としての自分を肯定していて、そこに戻りたいと最後まで想っていた。
それを無理矢理抑え込んでまで、1人にさせまいとするほむらの想いは常軌を逸しています。

TVシリーズの、主に第10話で描かれたほむらのまどかへの想いですが、僕が考えていた以上にその想いは深かったようです。
劇中の彼女の言葉を借りるならば、愛情だそうですが、うん。
凄い愛情ですよ。
件の「敵になる」発言も全て愛情あってこそですもの。

普通は「敵になる」なんて言葉の裏には愛情なんて無いですけれど(これはケースバイケースですが)、寧ろ愛情しか感じ取れない。
河原でのまどかの言葉を「嘘偽り無い彼女の本音」として盲信しているほむらは、今のまどかが「アルティメット状態に戻りたい」と心から叫んでも否定しそうです。
否定した上で、まどかを1人にさせまいとまどかを倒してでも、今の状態を保持しようと試みる。
とんでもない決意の滲み出た宣言ですね。

個人的な賛否

内容はこんな感じに留めて、以下個人的な想いを。
やっぱり賛否両論。

否の方から書いてみます。
要するに今回の映画は2期への繋ぎなんですよね。
2期を始めるにあたり、ゴールに達した物語を無理矢理にスタート地点に戻してしまった映画。
勿論1期とは違うスタート地点です。1期のゴールの先にあるスタート地点だけれど、1期を蔑ろにしてしまった感も否めない。

マミ、さやか、杏子のドラマ。苦悩や友情や死が。
まどかの悲壮なまでの決意が。

ほむらのやった事は、それらを全て”無かった事”にしてしまいました。
折角悲劇の輪の外に出れたさやかなんて、再び”魔法少女として”輪の中に組み込まれちゃいましたしね。

綺麗に終わった1期を叩き起こしてまで、2期のために物語を紡いだ印象がどうしても拭えません。
このお陰で2期が続けられるし、しかもオリジナルメンバー5人で再開できる。
2期を望むファンにとっては、この上ない状態になりましたけれど、そうじゃない自分は「ううううん」と首を捻ってしまう形になりました。

賛の方。
単純に「生きている5人の活躍(しかも連携)」を見れた点でしょうか。
正直言えば序盤の「魔法少女戦隊」部分はあまりにも世界観が違い過ぎて「えええええええ」となりました。
なんか「明るい戦う魔法少女もの」になってましたからね。
やたら長い変身バンクがあったり、「戦隊名」を叫んだり、歌とか歌ってナイトメアを料理したり。
この辺の描写は「まどマギ」では無かったけれど、「仲良く協力しながら戦う姿」というのは、TVシリーズの頃からこういうのを見たいと考えていた自分からしたら喜びでした。

少々否の方が強いかな。
それ程TVシリーズできちんと完結したと見てますし、そこから無理矢理続けた感が強かったから。
内容もさることながら、様々な点で難しい映画でした。

終わりに

思ったほど暗くなかったのは意外でした。
個人的にマミさんの死が最も強烈なインパクトがあって、あそこで最も鬱になったので、耐性が付いたというのもあるかもしれません。
見て気分が落ち込む事は無く、けれど、首は傾げることとなった映画でした。
まあ、劇団イヌカレーによる映像シーンが非常に多く、独特の世界観に浸り、なんとも言えない気分にはなりますけれど。(悪夢を見そうという意味でw)


頂いた特典。
アルティメットまどかさんでした。

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