「Wake Up, Girls!」 6話:藍里のやりたい事とメンバーのやるべき事が一致した時、ファンの歓声が聞こえる

この記事は

「Wake Up, Girls!」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

6話を見て書きたくなったので

今日はブログを更新する気は無かったんですが、ちょっとだけ。
「Wake Up, Girls!」の第6話を見ていて、思った事を書き残しておきます。
どうでもいいですが、記事タイトルはスタドラを意識してみました。
昨日BD-BOXを全話見ましたのでwww
綺羅星最高ですね♪

(この画像に意味はありません)

この作品が描きたいアイドル像は何か?

早坂から藍里に戦力外通告が出され、6人で活動を継続するか解散するかの選択を迫られたところで次回へと続いた第6話。
次回予告見るまでも無いですけれど、このまま藍里が抜けてしまう展開にはなりません。
いや、なったらビックリしますよ。
映画の時から「7人のアイドル」を謳っていて、こんな中盤で碌な活躍も無いままフェードアウトさせたら、おいおいと流石にツッコみたくなります。
藍里が抜けないのは当然として、これを機にそろそろこの作品の目指すアイドル観を示して欲しいなと思う訳です。

別の記事でも書いた事ですが、この作品のアイドル観っていうのかな。
描き出しているアイドル像は、非常に泥臭いです。

社長が資金持ち逃げをしたり、悪徳プロデューサーに騙されたり。
主役級の真夢自体、なんだかスキャンダラスな過去が隠されている事は、この物語の根幹の1つにもなってます。
彼女がどういった理由でI-1クラブを抜けたのかが重要な意味を持ってくるはずです。

正直「アイドル」という職業に人々が抱く煌びやかな世界には、まだまだ踏み込むことなく(実力的に踏み込めず)地味で地道な下積み風景を淡々と描いている最中です。
もう6話なんですよね。折り返し地点に来たところです。
それなのに、まだまだ彼女達は絶賛修行中の身。
映画の時のライブでのパフォーマンスは何処へ行ったとツッコみたくなる位、早坂が言うように学芸会レベルのミスを繰り返しているとこ。
観客も少ないし、基礎体力も着いてない。
本当にアイドルとして何らかの成功を収めるまでいけるのだろうかと、そろそろ不安を覚え始めていますw
アイドルアニメだけれど、我々が普段想像するようなアイドルとして活躍する姿は、最終盤になるまで拝めそうもなさそうです。

不思議…ですよね。
何故にこれ程までに、卵の時代に時間を割いているのか。
どちらかと言えば「華やか」とは真逆の時期をこれだけの尺を使っているのですから、そこにはきっと意味がある筈で、それこそがこの作品が目指すアイドル像なのかなと想像しているんです。

少し遠回しな書き方をしましたが、結局藍里の問題は、真夢挫折とも絡めてこの作品が最も描くべきテーマそのものを浮き彫りにすることなのではないかと。
藍里の事も真夢の事も全て1つに収斂し、アイドルグループ「Wake Up,Girls!」がどういったアイドルになるのかが分かり、アニメ番組「Wake Up,Gilrs!」のテーマが見えてくるのだと思うのです。

じゃあ、それって何かといえば、それは次回以降を見てみないと分からないんですけれどね(笑
とはいえ、僕の想像と言うが願望というか。それについて触れてみます。

その持論と願望

I-1クラブってシステマチックですよね。
いや、まだまだ表現が緩いでしょうか。
機械的。マニュアル的。
彼女達が復唱してる「人気アイドルの心構え」からして正直気味が悪い。
「休まない、愚痴らない、考えない」。
レッスンで少しでも遅れたり、ミスしたりすれば即クビ。
クビにされた方も何の感情も見せずに去っていく。
工場で機械的に「売れるアイドル」を量産してるような。
ぶっちゃけ、「こんなアイドル応援したくない」と心底思えるアイドル像です。

作品としては、このI-1のアイドル像を否定しなければなりません。
否定するはずです。
そうなると、藍里のスタンスがそのまま「Wake Up,Girls!」のスタンスになるのがベストだというのが僕の意見。

「自分が楽しまないで、他人を楽しませる事は出来ない」
この手の考え方ってメジャーですし、楽しんでいる藍里から提唱できる考え方。
寧ろ彼女にしか提唱できない事ではないかなと。

そしてこれがこの作品が提示したいアイドル像ではないかなと思います。
この6話で藍里のスタンスは強調されていた部分でしたし、割と確信に近いものを持ってます。
(僕がどう考えようと、当たる可能性はとっても低いですけれどw)

真夢のI-1脱退理由も、割とこの辺からなのかもですね。
「自分の考えを持たせないI-1に於いて、白木に意見を言ったからクビにされた」とか。
例えば、ミスをしてクビにされた他のメンバーを庇ったら、お前もクビだと即刻宣言されちゃった…という様な事は有り得そうです。

修業時代が長いのもこれなら納得出来るんです。
アイドルとして売れてから「自分達も楽しんで行こう」という事を描いても、「その結果」が見え辛い。
ファンが少ない時期に「自分達が楽しんでいる」と示した後に、ファンを増やしていく。
すると劇中の人々は
「楽しんでないアイドル(I-1)よりも楽しんでいるアイドル(WUG)を選んだ」
事が鮮明になるし、分かりやすく考え方に優劣を着けられる。
相反する2つのアイドル観に勝敗を着けられるんですよね。
だからこそ、今が長いのかな。

ところで早坂もどちらかといえばI-1の考え方を好んでないのかなと。
考え方そのものを嫌っているというよりかは、機械的なアイドル像に興味が無いとした方がしっくりきますけれど。
だから、藍里の考え方について実の所賛同してるんではないかなって。
賛同はしてるけれど、藍里に才能が無いというのは本心で。

まあ、よくある試験でしょうね。
このまま仲間を切り捨てるようならば、I-1と同じと見做して早坂は見捨てそうです。
自分達がクビになってでも仲間を守りにいくようなら、I-1と違うから育てていこうとか考えてるんじゃないかなと。
この解決策も間違いなく作品のテーマを浮き彫りにする動きに繋がる筈なので、次回はそこに注目してみたいです。

展開はどうなるか分かりませんけれど、藍里の「自分が楽しむ」という考えを捨てさせて欲しくありません。
映画のクライマックス。
雪の舞う中、衣装も無くぶっつけ本番で挑んだ初めてのミニコンサート。
ミスする事無くやり遂げられたのは、彼女達自身が楽しんでいたからなんじゃないかな〜。
最近は楽しむというより仕事として望んでいるような感じでしたし。
ミスを恐れ、気負い、そしてミスをしてという悪循環。
下手に見栄えを繕おうとせずに、素のままで楽しんでライブに挑む。

そういう方向性に進んでほしいな。

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