大暮版「化物語」 第2巻感想:トリックを解くキモは「暦の物語」が挿入された意図に気づくことではないかという話

はじめに

新章「まよいマイマイ」突入!!
第2巻の感想ですよん。
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超絶画力で紡がれる新たなる物語。
遂に2巻が発売されました。
あいも変わらず台詞が多いんだけれど、スイスイ読めちゃいますね。

今回は、叙述トリックと話の構成について思ったことを書いていきます。
2巻には描かれていない「まよいマイマイ編」の核心に迫るネタバレをしています。
まだ解決編を知らないよって方はこの先に進まないで下さい。

衝撃のオチだった「まよいマイマイ」

西尾維新先生はご存知ミステリ畑出身の作家です。
故に、今作にもミステリ的な仕掛けが施されています。
最も顕著なのが今回の「まよいマイマイ」ではないでしょうか。
アニメでの初見時には大変に驚かされました。

まさか真宵が幽霊だったなんて。
ショックでしたね。
こんなに可愛い子が亡くなっていた事が受け入れがたかったです。

まぁ、まんまとトリックに嵌ってしまった訳ですよ。
「真宵が生きてると思わせること」がこのエピソードに張られたトリックでした。

読者にある先入観を植え付ける

先ず仕込みがありました。
「ひたぎクラブ」編です。
怪異と聞いて真っ先に連想するのが、幽霊とか妖怪です。
事実おもし蟹という人ならざる者が登場しています。
が、人ならざる者が人に化けていた訳では無くて、単純に人に憑いていたのです。
ひたぎに憑いていたから、ひたぎ自身は正真正銘生きた普通の人間だった。
メインゲストの女の子自体が怪異ではないという思い込みがここで生まれました。

これは「まよいマイマイ」編の中でも強調されています。
触りだけ触れられた羽川翼の過去です。
彼女も正真正銘生きた人間で、過去に猫の怪異に憑りつかれた経験があったと語られます。
これによって、より「怪異とは、生きた人間に憑りつく存在」であるという考えを補強してしまうのです。

「不要な物語」の意図

続いて話の構造を分解してみます。
すると、妙な違和感を覚えるのです。
今回のエピソードは「真宵に憑りついた怪異を解決する話」の筈です。

真宵と会い、彼女が置かれている立場を正しく理解し、解決する。

この流れに於いて、では、「暦が忍と出会った時のエピソード」は必要でしょうか?

否。
必要ありません。

一見導入時に「”蝸牛の怪異”と根っこのところでは繋がっているように思える」という暦の「想像」を挟むことで「真宵の物語」に必要であるかのように装われていますが、全く関係してきません。
ただ単に暦が吸血鬼になって大変な目にあい、忍野に救われたということが判明しただけです。
現在の真宵の物語の解決になんの繋がりも見出せないのです。
それは、この回想が「断片だけを切り取ったダイジェスト」で語られている事からも窺えます。
もし現在に繋がるなんらかの伏線が仕込まれているのだとしたら、しっかりと語られて然るべきでしょう。
ダイジェストというのは、要点だけを短く伝える為の手段なのだから、伏線を張るという目的とは相容れないのです。

こう考えてみると、翼の過去も唐突であって、不要なんですよ。
だって、このエピソードは翼の物語じゃないんだから。
「誰の物語なのか」という観点で見れば、翼の過去も暦の過去も関係ないことが見て取れます。

では、この2つの「無関係の物語」は、何故このタイミングで語られたのでしょうか。
「まよいマイマイ」の中で語られる理由はあったのでしょうか?

レッドへリング…偽の手掛かりで本当に何の関係もないという考え方も出来ます。
が、それにしては「関係ないことが分かりきっている」ので、レッドヘリングとしてそもそも機能してません。
なら、逆説的に「必要だからここで語られた」と考えるのが筋です。

伝えたかったのは、ただ1つ。
暦、翼、ひたぎの立ち位置です。

暦は、人間であって、人間ではない存在。
人間関係とは別のコミューン”こちら側の世界”の住人であると彼自身が述懐しています。

翼は、過去に怪異に憑りつかれていたけれど、その時の記憶がない。
(1)ストレスが溜まり
(2)とある臨界点を超えた時「怪異」として表層化し
(3)それを祓う事で
(4)ストレスと向き合い
(5)解消する。
この流れの中で、彼女が(2)の記憶を失ってしまったことで、事実として(3)が行われただけで(4)には至ってないのですよね。
きっと。
(3)と(4)の狭間で止まっている。
それが正しい翼の現在の立ち位置に思えます。
暦も(4)に近しい立場を継続中なので、翼にも近い存在と言えそうです。
つまりは、翼は暦に近い位置にいる。
“こちら側の世界”に近い位置にいるのでしょう。

ひたぎは、そんな翼とは「決定的に違う」と明言されています。
彼女自身ストレスと向き合い、自身の中で解消した事が、ひたぎ自ら言葉にしています。
(1)から(5)までの流れをきちっと終えているんです。
彼女は”こちら側の世界”から完全に戻っているのだと。

暦と翼の過去話によって、ひたぎだけが「見えている世界が違う」ことが窺えるのです。

トリック解法のキモ

暦の物語が挿入された意図がひたぎだけが「見えている世界が違う」ことだとして、もう1度物語を見返してみます。
すると、先程とは異なる違和感を覚えるんです。

ひたぎが真宵を認識していないかのように見えてくるんです。

初見では、こんな違和感を覚えませんでした。
少なくともアニメ版では僕は覚えなかった。
「暦が見えている事は当然ひたぎも見えている」という当然の先入観があったから。

しかし、暦とひたぎは「違う立ち位置」にいるのです。
当然「見えている世界も違う」ことになります。
だとすれば、ひたぎの言葉を暦が勝手に「ひたぎにも真宵が見えているという前提に則った解釈」をしていることが分かってきます。

仮に初見時にこの違和感に気づいたとしても、すぐにかき消されるのですよ。
翼が間違いなく真宵を見て、会話しているので。
真宵が「暦だけに見えている存在」では無いと分かり、ひたぎも見えてるに違いないという勘違いを誘発させられてしまいます。

改めて巧妙だよな~と。
二重三重と勘違いさせる罠を張っていて、見事に騙されちゃうわけですよ。
最初の思い込みである「メインの女の子(真宵)が怪異である訳がない」というのも効いてましたね。
ま、コロッと騙される要因として僕がアホなのがあるんですが、一旦棚上げしておきます。

暦の物語が何故挿入されたのかを疑問に感じて、暦と翼、ひたぎの立ち位置の違いを正確に捉えられるか。
これがこのトリックを解くキモだったのかと思った次第です。

その他で気になった事を

決定的なヒントは、序盤のひたぎのセリフかな。
暦が「苗字」として「”八九寺”を読めない」と聞いてるのに、ひたぎは「そんな熟語も読めないの?」と返している。
ちゃんと「(小学生も名札も)見えない」と言ったあとで、地図に書かれている(と暦の言葉をひたぎは解釈)”八九寺”という熟語を教えた。
決定的に食い違ってるんですが、暦が自身の人間を超えた能力を勝手に加味して、誤解しちゃってるんですよね。

それでも、暦と別れる際の「あの子と二人きりになんかしないで」って台詞は強烈だよな~。
だって、何度読み返してもひたぎと真宵の二人きりにしないで欲しいって意味にしか取れないもの。
これが最大の引っかけなのかもな…。

あと、漫画の演出として、面白いなと思ったのが、真宵が「わたしはいつまでも辿り着けないんです。」って言ってるコマかな。
結構後ろの方のページです。
暦と真宵を影の中に描いて、ひたぎだけを日向に置いている。

同じ演出を過去「四月は君の嘘」でも見ました。
1話だったかな。
日向にいるかをりと日陰にいる公生。
立っている位置の違いによって、置かれているキャラクターの心境の違いを表している。

今回で言えば、”こちら側の世界”を日陰、人間の世界を日向で表現しているのでしょうね。
こんなところでも、暦とひたぎの「見えている世界」の違いが出ていて、面白いなと感じました。

終わりに

真宵を堪能した。
3巻も期待です!!

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