実写「僕だけがいない街」と「ちはやふる 上の句」 原作の肝を再現出来てるかの感想

この記事は

実写映画「僕だけがいない街」と「ちはやふる 上の句」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

もう完全に「とらダク」と映画のレビューブログになってますね、ここ。
(自称)考察系記事とか全然無くなっちゃった(笑
ネタ作りの時間も根気も無い為、今後も無いと思います。
どうでも良いですね。

ということで、今回も映画レビュー。
連休初日を利用して、2本鑑賞して参りました。
別々の記事にしようとしていたのですが、分量的にも大した事無いので一つに纏めます。

前半で「僕だけがいない街」、後半で「ちはやふる 上の句」となります。
どちらも漫画原作という事で、「コア(肝)は何か」を中心にして書いてみます。
作品のテーマのことではなくて、ジャンルの方です。
ネタバレガッツリありなので、これからという方はご退場下さいませ。

実写「僕だけがいない街」 感想

切り口を変えるだけで、同じようなプロットでも印象ってやはり大きく異なるものですね。

原作の印象はまさしくサスペンス。
若しくは、「探偵による解決編の無いミステリ」。

悟が「被害者」を救い出していくうちに、犯人の方から悟に近寄って「実は僕がやってました」と「自供」する形なので、本格的なミステリとは僕の中では分けているのですけれど。
また、犯人当て(推理)が本旨では無いというのも、ミステリというよりサスペンスと分類している理由かな。

そう。
サスペンスなんですよね。
姿の見えない幼女連続誘拐殺人犯から少女達を守っていく「逃走劇」にハラハラドキドキが止まらず、続きが気になるという欲求に駆られるタイプの漫画なんです。

だけど、映画では違った印象を持ちました。
プロットは同じなんですよ。ラストを除いて。
尺の都合上色々とオミットしているうちに、「サスペンス」自体をオミットしちゃったのかなと。

原作の全てを120分に収める訳にもいかない為、どうしてもエピソードを削ぎ落とす必要はあります。
その中で、「加代以外の被害者の救済」をバッサリと削ぎ落としてしまったが故に「幼児虐待から少女を守る心温まる物語」という印象が全面に出過ぎていました。
中西彩は誘拐されちゃうわ、広美に至っては存在すら無かった事に(被害者の1人として名前だけは出て来ていたかも)

勿論原作の加代のエピソードはとても重要な部分ですし、ここを蔑ろにすると作品そのものの根幹が揺らぎかねません。
「幼児虐待から少女を守る心温まる物語」という側面は確かに原作でも感じられる部分です。
けれど、それはあくまでも「一部」であって、全体的には「サスペンス」の枠組みに収束されている訳で。

犯人の狡猾さが薄れていたのもサスペンス性を薄くしていた要因。
代表的だったのは、悟の行動の原作との違い。

2点あって、1つ目は佐知子殺害シーン。
母を殺され、怪しい人影を追う悟。
この辺の描写は原作通りなのですが、「悟が警察から追われる理由」が余りにも弱すぎでした。
佐知子と悟が不仲だったと証言する目撃者がオミットされているので、冷静に説明すれば「母を殺したかもしれない怪しい人物を追って現場から離れた息子」で説明が着いちゃうんです。
警察にしたって、こう悟から説明されたら納得するしかないでしょう。
(凶器の指紋に関しては、元々悟の家の物だったので、わざわざ弁解する必要も無い事ですし)
悟の行動(警察からの逃避)・警察が悟を容疑者として追う理由付けが不自然となっていました。
気が動転していた悟が逃げる事自体は不自然とまでは言えないかもですが、警察の動きが過剰でしたね。

2点目は「犯人かも知れない人間の車に乗り込むという不用心さ」。
美里が乗っているかもしれないと白鳥食品の車を追跡する悟。
原作では、犯人とは思わないで犯人の運転する車に同乗しているので、何も問題はありませんでしたが、この映画では最重要容疑者と知った上で乗車。
いくら「犯人じゃないと信じたいから」とはいえ、あまりにも軽率な行動。

サスペンスというのは、ギリギリまで追い込まれたシチュエーションが生みだす緊迫感を楽しむジャンルと思うのです。
読者・視聴者に「逃げ道は封鎖された。ここからどう展開させるんだろう」と思わせられるか否かに掛かっている…とはちょっと言い過ぎですけれど。
でも、ギリギリのシチュエーションは大事。
原作の上手い点はソコにあって、映画ではそういう素晴らしい部分まで削ぎ落としてしまっていたと感じました。

ラストの落とし所も僕の趣味的にNGというのもあって、シナリオ面ではかなり残念だったなという印象が強かったです。

追記:リバイバルの設定変更について
恐らく、原作と映画では設定というか解釈が異なってますね。
原作は、リバイバルによって改変が成功した場合、”改変成功後の世界”のまま悟の時間が進む。(改変前の世界は消える)
だから、八代によって殺されかけても、改変自体は成功したので、改変前の世界に戻らずにそのまま時間が進んだ。(植物状態で10年以上眠りつづけた)

映画はあくまでも”タイムスリップ”の一種という解釈なのでしょうね。
改変の正否に関係なく”改変前の世界”に”戻る”。
但し、リバイバルによって変わった事象は反映される。(原作でもそう解釈出来る部分はあるが、あれは”改変途中の世界”と解釈)
八代に川へ落とされた悟は、リバイバルによって”改変前の世界”に戻った。
但し、「加代が生きていた場合の世界」という改変はされているものの。
こうすると、「八代に川へ落とされた悟」という事実は無かったことになるはずなんですが、八代はそれを示唆するような台詞を吐いていたので謎。

この辺りはスッキリしないんですが、原作とラストの展開を変えた事で矛盾が生じているのかもです。

役者についても少々。
子役の演技力、半端無いなと。
この作品は、子役の出来で全体の評価が変わると言っても良いんじゃないかな。
それ位重要な位置を占めていると思うのですね。

勿論重箱の隅を突けば、例えば悟役の子の驚いた時の演技(「え?」って台詞)がややぎこちなかったりもしたのですが、全体的には凄いなと。
何の問題も無く安心して鑑賞出来るんですよね。

いや、多分僕が(感性が)古い人間なので、殊更気になったのかもしれません。
子供時分に見た特撮ヒーロー番組に出てくる子役達が皆一様に棒読み演技であり、それを未だに「子役の演技レベルの基準」にしちゃっているものでして。
最近(?)は、子供でもしっかりとしたお芝居が要求されるんでしょうね。
そういえば声優業でも大人顔負けの演技をする子が散見されるようになってますしね。
「うさぎドロップ」の松浦愛弓さん(当時10歳)とか「ばらかもん」の原涼子さん(当時10歳)とか未だに強く印象に残ってますもの。
ここは凄いな〜と感じた事でした。

あと、そうですね。
犯人の正体、隠す気無いなと(笑
アニメ版もそうだったんですよね。
西園の声が誰がどう聞いても八代というwww
一応西園役は「大泉一平」というクレジットでしたが、これは八代役の宮本充さんの変名でしょうね。
TVの前で隠す気ないな〜と笑っちゃいました。
(キャストを変えたり、全然違う声にしちゃうとアンフェアかつ不自然になるので、致し方ない部分)

映画では、「犯人と分かる前」の西園の後ろ姿が映ったシーンが…ね。
どっからどう見てもミッチーそのものでしかない後ろ姿に草生えそうになりました。
この辺は、漫画や小説でしか表現出来ない点なので、映像化しちゃうとバレバレになるのは仕方無いんですけどねw

えと。
総評としましては、点数で表わすのならば10点中6点という感じでしょうか。
テイストが大きく異なるシナリオになっていたので、高い満足感は得られませんでした。
先にも書きましたが、個人的にはあまり救われないオチだったのもマイナス要因。
“僕だけがいない街”の解釈も原作の方が好みです。(愛梨好きなのでw)

ただ、原作とはラストが違うので、コミックス派でも安心して見れます。(原作ラストのネタバレにはならないという点に於いて)

「ちはやふる 上の句」

こちらはアニメ版しか知らない故に、原作のコアは何か…とか強く踏み込めないのですけれど…。
ただ、僕の中にある「ちはやふる」を外していなかったのは確かなんです。

シナリオを見れば、正直「僕だけがいない街」以上にオリジナル要素ガッツリです。
特に前半は原作の見る影もないというとやや大袈裟でしょうか。
いや、かなり違ってたと思います。

前半で仲間集めと合宿、後半で大会という構成でしたが、前半のオリジナル展開は致し方ないのかなと。
原作通り進めていたら、尺が足りませんもの。
これは「僕街」と同じ理屈ですね。
エピソードのオミットを選択した「僕街」と大きく改変を選んだ「ちはやふる」という違いだけ。

んで、改変するにあたって、それぞれのキャラクター性も原作以上に大袈裟かつ特徴的にしていたと感じたのです。
かなちゃんの古典オタクっぷりを強く前面に出したり、机くんをより変人チックにしたり、太一に千早ラブだけに集中させている。
肉まんくんは…原作ではお調子者でしたっけ?
そんな印象は殆ど無いんですが、妙に調子の良い感じになってました。

要するに、各個人のエピソードをやってキャラを掘り下げられないので、その分キャラを濃くして立たせようという思惑なのかと。
(この煽りを喰らったのか須藤はドSというよりかは唯の嫌な奴化していて、ちょっと可哀相でしたが…)
真意こそ分かりませんけれど、キャラ立ちはしっかり出来ていて、エピソードの省略も気にならないようになっていました。

そんで、大事なのは後半ですよね。
競技かるたに燃える青春。
ここをぶれずにしっかりと描けていれば、芯は外してないぞと。

かるたの迫力やスピード感も映像からひしひしと伝わってくるし、机くんを中心とした(と敢えて書きます)「チームの和」が出来上がるまでの流れも完璧。
まさしく汗が眩しい青春の1ページ。
前半とは打って変わって、原作エピソードを再現しつつ、大事な芯を描き出していましたね。

かるた的に言えば見事なまでの本歌取りですよ。
コミカルなシーンで笑わせて、熱の籠ったかるた大会でスポ根をする。
千早、太一、新の絆と恋愛を上の句を下の句を繋ぐキーにしつつ、前編だけで「映画としての山場」をしっかりと用意して、1本の映画としても成り立たせている。
シナリオ的に非常に満足度の高い映画となっていました。
面白かった。

さて、ここから少々役者についても。
文章が気持ち悪くなってきますよ(笑

広瀬すずさんが可愛すぎてヤバい!!

なんですかね、あれ。
あの可愛さ。
天然ロリっ子の破壊力とでも表現するのか。
ナイスすぎるキャスティング。

ただ、原作の千早のイメージとは少々違ってましたけれども。
高身長、モデル体型の「美人」というイメージとは違っていたのは事実。
「残念美人」というより「アホの子」(褒め言葉)でしたね。

だがしかし、可愛かったので問題無し!!(断言)

あと、ひょろ君(坂口涼太郎さん)が原作に似過ぎ。

おわりに

原作がある場合、原作とプロットを大きく変えてしまうと原作ファンから「原作にする意味あるの?」という批判が出る気がします。
というか、実際そういう批判を目にした事あります。
キャラと設定だけを”借りた”別物じゃないか…と。
原作者の意向として敢えてそうしてる映像化作品もありますので、一概にこの手の批判が正しい訳では無いのです。
が、原作ファンとしては、叫ばずにはいられないのも分かります。

今回2本の原作付き映画を見て感じたのは、大事なのはプロット云々ではなくて、コアを再現出来てるか否かだなと。
僕の感想としては、
・「僕街」は原作のプロットを出来る限り忠実にしつつも、コアは再現出来ていない
・「ちはやふる」は大きくプロットを変えてはいても、コアの再現が出来ている
でした。

コア再現云々に関しては、好対照な作品でありました。

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