「若おかみは小学生!」はジブリに負けず劣らない上質なアニメーション映画だった【感想】

この記事は

「若おかみは小学生!」の感想です。
ネタバレあります。

鑑賞を迷った

実の所、鑑賞しようかどうか迷った映画でした。
「青い鳥文庫」は講談社が発行している児童向けの文学レーベルです。
TVアニメもやっていたそうですが、そちらも日曜朝の子供向け枠。

いい歳したオッサンが、幼女が主人公の子供向けアニメを見に行くのは如何なものか…。
一応世間体(?)を気にしてるので、迷いました。
子供達で溢れたスクリーンに、オッサン1人がぽつーんと座ってる。
異様じゃないか?警察呼ばれやしないか?
悩んだ末、ま、上映ギリギリの暗闇の中入ればいっかということで、座席予約。
行ってきましたよ。

予定通り暗転してから劇場内に入って、予約した座席を探すと…幼女が座ってる!?(>_<)
一緒に来てたお婆ちゃん(かな?)がどうやら一列間違えてたらしいです。
やむを得ずバッチリと会話を交わしてしまい、あぁ、怪しまないで。オッサン1人で何見に来てんだとか思わないで。

と、あまりこういうこと書くのは良くないですね。
自分が思ってる以上に見られてないですから。気にするだけ無駄です。
実際何人かお1人様(40~50代くらいの男性)がいらしてましたし、気にされる方も安心いただければと。
安心して、見に行って欲しいです。

ぶっちゃけ、こんなに良いアニメーションだとは思っても居ませんでした。
鑑賞して良かったぞ~~~!!
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キャラデザの違いから感じたこと

ざっとテレビシリーズの公式サイトを見たのですが、キャラデザが違うのですね。
テレビシリーズの方が、視聴者を年齢層をより強く意識されてるのか、全体的に弱冠幼い感じです。
年配者を見比べるとハッキリすると思うのですが、みな若々しく見えます。

対して劇場版では、子供は子供っぽく、大人は大人らしく、より区別できるようなデザイン。
目を大きく深夜アニメっぽさを感じる子供達。
ジブリかなって感じ(特におっこのお父さん)を前面に出した大人達。
子供も大人も、アニメ好きも一般の方も。
幅広く見て欲しいというメッセージが込められてるかのようなキャラクターデザイン。

そんな印象通り、誰しもが楽しめるほんわか物語になっていました。

物語の軸は、交通事故で両親を亡くしたおっこの成長です。

冒頭は、まだ平和だった頃の家族が日常を楽しんでいるシーンから。
お母さんの実家の温泉街で舞を披露する子供達。
それを見る家族は実に幸せそうで…。

だからこそ、直後の事故シーンが凄惨さを増しているのでしょう。
1人となったおっこは、家を出ます。

誰も居ない家に向かって「行ってきます」と言うも、誰からも応えは返ってこない。
表札には、何も掲げられていない。
向かいの席で同い年くらいの男の子が両親と戯れるのを横目に1人電車に揺られるおっこ。
温泉街に付いても、幸せそうなカップルに見られ、分不相応な大きなトランクを転がす。

オープニングの短い時間で描き出されるは、1人になってしまったおっこの孤独感です。
彼女自身は決してそのような言動を見せないのが、余計に彼女の孤独感を浮き彫りにしてるように見受けました。

この後、幽霊のウリ坊に出会い、彼の頼みで祖母が女将を担う温泉旅館「春の屋」で働くことになったおっこ。
3組のお客様への接客で成長が描かれていきます。

1組目は、神田父子。
見るべきポイントは2つ。
1つは、「春の屋」のおもてなし精神。
どんなお客様でも差別をせずに等しくもてなす。
「普通」なんていう曖昧な尺度で計らずに、誠心誠意尽くす。
そういう旅館なんだよという事を改めて浮き彫りにしています。

2つ目は、神田父子はつい先日妻であり母を亡くしている点。
あかね少年は、母を亡くしたショックから立ち直れていません。
一度は反目するも、彼の痛みを理解出来るおっこは、彼を励ます為に奮闘します。

穿った見方なのかもですが、同じ傷を抱える他人を立ち直らせる行為は、自分を奮い立たせる事にもなっているのかなと。
あかね少年を励ます行為が、おっこ自身を励ましていることに繋がっている。
そんな風に見えたのです。
だから、ここも見るべきポイントなのかなと感じました。

2組目は占い師のお姉さん・グローリー水領。
彼女との出来事で大事なポイントは、やはり、おっこはまだ両親の死を引き摺っていることが分かったシーン。
トラウマになりかけているのかもですね。
ドライブすると、当時の恐怖がフラッシュバックしてしまう。
乗り越えたように見えて、まだまだ小学生。
深い傷は癒えて無く、悲しみの底にあることが分かります。
この時、ウリ坊たちが視認出来なくなっていることも描かれていますね。
また、グローリーはおっこの理解者という立場にもなります。
彼女とのエピソードは、非常に重要でした。

3組目は、なんとおっこの両親を直接死に追いやった男性とその家族。
これは予想外の展開でした。
児童文学とは思えないくらい、あまりにもハード。
事実を知った瞬間のおっこの気持ちは、僕には分かりませんでした。
分かる訳がないです。
彼女の気持ちを正しく理解出来るのは、彼女と同じ立場にいる人だけでしょう。

少なくとも「1人でいられないほどのショック」を受けたのは確か。
改めて1人だという認識を持ってしまったのかな。
ウリ坊達を・支えとなってくれる人を捜し求めるおっこの姿は、見ていてただただ辛いものでした。
態度には出てませんでしたが、ウリ坊たちの存在がおっこの精神の支えになっていたのですね。

さて、この状況から立ち直ることが、おっこの成長を描くことになる訳ですが、僕は最初ウリ坊達がフォローするのかと考えてました。
心の支えになっていた彼らが、言葉で優しくおっこの傷ついた心を癒していくのかなと。
でも違った。
違い過ぎた。

グローリーに全てを吐露し、多少は心が軽くなったとは思います。
人に話す事で、救われる事って確かにありますから。
でも、そこから実際に立ち直れるかどうかは、自分次第なんですよね。
他人から優しい言葉、励ましの言葉を掛けられても、自分自身で立ち上がろうとしないとダメなんですよ。
で、立ち直れたら、それはもう精神的な自立と見做せます。
文字通り「独り立ち」ですね。

もしもウリ坊達にフォローされ、彼らの言葉で立ち直れてたとしても、それは「成長」とは見られないかもしれません。
同じようなどん底の状態に陥った時、今度もウリ坊達のような助けが必要になっちゃうから。
でも、1度自分の力で立ち直った経験があれば、再度絶望に浸っても独力で立ち直れちゃいます。

本編に話を戻しますと、おっこは、1人で立ち直りました。
グローリーは何も言ってません。ただ話を聞いただけ。
ウリ坊達も支えてあげられなかった。(おっこの霊感が弱まり、ウリ坊達を見えなくなっていたから)
祖母から母へ、母からおっこへ。
脈々と受け継がれてきた「春の屋」のおもてなしの心が全てを赦した。

ああ、紛れもなく、彼女の成長です。
小学生が両親の死を乗り越えたこと。それ自体が凄いのに、1人でやってのけたことが本当に凄い。
そりゃ真月も認めざるを得ませんよね。
初めてライバルとして認められた事は、分かりやすく、おっこが成長を見せた証だと言えそうです。

弱冠時間が足りないかなと感じましたが、「おっこの成長」に必要な要素が過不足なくギュッと圧縮されており、それを「誰もが楽しめる演出」で彩ってくれている。
大衆向けの娯楽アニメーションとして、上質なほんわかとした時間を楽しめました。

終わりに

このような映画が大規模上映されると良いのになと思います。
宮崎駿監督後、ポストジブリが誰になるかマスコミが煽り立ててます。
「監督」も大事かもですが「作品」にも焦点を当てて欲しいものです。

「大衆アニメーション映画作品」としての「ポストジブリ」があるとするならば、この作品もそんな「ジブリに負けず劣らない上質なアニメーション」の1つに推したいところです。

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