「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 感想

この記事は

「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」の感想記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

口下手で、自分の感想を言葉に紡ぐことが出来なくて申し訳ありませんという私事を書きつつ、見て来ました「あの花」!!!!!!!
鑑賞後のリアクション薄かったですが、個人的には最高の映画でした。
ネタバレありの感想です。

総集編かどうか

この映画の僕が聞いた一報は以下のようなものでした。
「総集編である」
次に聞いたのがこれ。
「めんま視点で紡がれる「あの花」」
総合して「めんまの視点からTVシリーズを語り直した総集編」というものでした。
でも、違いました。
確かにこういった一面もありました。
めんまの想いをふんだんに新規カットで描き切っていた。
ここは、この映画の重要な一面です。
僕が否定したいのは「総集編」の部分。
TVシリーズの既存カットはあったし、それを繋ぎ合わせれば「総集編」の体裁は整ってはいました。
けれど、けれどね。
ただの総集編映画としては個人的には見做したくないんです。

話しのメインは、「あの花フェス」で公開された「めんまへの手紙」。
「めんまへの手紙」は、映画のサブタイトル的な表示もされてましたね。
このイベントの為に書き起こされた新作で、当時はキャストさんの演技と田中将賀さん描き下ろしのイメージイラストで構成されてました。
この新作後日談をアニメーション化したのが此度の劇場版。
超平和バスターズ5人各々のめんまへの想いを描いた新規シーンとそれに必要な既存シーン。
逆にめんまが5人を(特にじんたんを)どう想って”いた”のかを完全新規で描いているシーン。
構成的にはこんな感じ。

だから、TVシリーズは勿論、この「めんまへの手紙」を知っている僕のような人間からすれば、今回の映画は総集編かもしれません。
TVシリーズだけでも総集編とも見れる。
…総集編だったかもしれない…。
いやいや。違う。

僅か12分の「めんまへの手紙」を100分くらいの長編にしてるんですよ。
アニメーション化して、TVシリーズの既存シーンを追加しただけでは全然足りません。
上記めんまの「想い」を加え、晴れて平和バスターズ全員の気持ちを丁寧に描写する事で、1本の新作に昇華してあったと思うんです。

もっと端的に分かりやすく数字で示してみます。
といっても、あくまでも僕の印象の中の裏打ちの無い数値ですけれど、見た感じ既存カットは全体の2割程。
多くて3割といった感じでした。
それ以外の完全なる新規カットが7割以上は占めていた。
もうこういった部分から見ても、この映画がただの総集編とは言えないんじゃないかと。

でも、これは些細な点ですね。
拘る必要の無い点。
映画として、良いか悪いかの方が重要。

繰り返すようですが、個人的には最高の映画。
「あの花」が好きならば絶対に見るべきです。

「あって良かった蛇足」

で、何故そんなに良かったのかといえば、この映画の立ち位置をしっかりと守ってくれていた事ですね。
この映画、総集編だろうとそうじゃなかろうと、どちらにせよ「エピローグ」なんですよね。
それもただの「エピローグ」ではなくて、最悪無くても問題の無い「エピローグ」。
言葉は悪いですが「蛇足」なんですよ。

「あの花」という作品は、TVシリーズで始まり、TVシリーズで完結した作品です。
TVシリーズ全11話の中で最後まで綺麗に描き切っていた物語であり、これ以降の物語はファンサービスでしかないんですよね。
だから、TVシリーズの結末を否定するような終わり方をしてしまうと、それは悪い意味での蛇足となります。
無くて良かったと思われてしまう要因になるんです。

今回の「蛇足」は、言葉は同じでも意味合いとしては「あって良かった蛇足」。
それは即ち、TVシリーズを否定しないでくれたからですね。
では、どういった事を描くとTVシリーズの否定となるか。
個人的な解釈ですけれど、僕は「めんまを復活させる事」がそれに当たると考えます。

いや、考えちゃうんですよ。本音を言えば。
例えば、まだ言葉も話せないような赤ん坊が、町で偶然出会った超平和バスターズの面々を見て、彼らのあだ名を次々に呼んでいく。
それを聞いたじんたん達や僕らは「めんまが生まれ変わったんだ」と感じる。
もっと突拍子も無い展開ならば、めんまがじんたん達の想いを受けて生き返ってしまう。
何事も無かったかのように奇蹟的に復活する。
若しくは、再び霊体として、じんたん達の前にめんまが現れる。
さらに時間軸を未来に持って行って、じんたんとあなるが結婚して生まれた女の子に「芽衣子」と名付ける…とかとか。
僕のような「皆生きた上でのハッピーエンド」を望む嗜好を持っていると、こういう展開をついつい望んじゃうんです。

けれど、多分多くの人はこういう類の妄想を聞くだけで「そんな展開にならなくて良かった」と思うんではないでしょうか。
冷静に振り返ると、僕だってそう思いますもの。

別に作劇上の観点から言えば、なんらおかしい事では無いんです。
作品を破綻させるような展開ではありません。
元々死んでしまっためんまがじんたんの前に現れるという非現実的な要素を中核に据えた作品なので。
喋れない赤ん坊があだ名を口にしたり、めんまが生き返ったりしても、作品世界観的には許される範囲。
けれど、それしちゃうと、ダメなんですよね。
TVシリーズを否定してしまう。

この映画でも描かれていましたけれど、この作品は過去を振り返るような作品じゃないんですよね。
あくまでも未来を見つめて、未来に生きる物語。
涙と”笑顔”で、めんまとお別れをする物語。
別れを描いた作品で、再会しちゃ元も子もないじゃないですか。
「めんまを復活させる事」を決してしなかったから。
僕はこの映画を最高だと感じました。

その分1本の映画としては、少しだけ物足りなさもあるかもしれません。
映画のクライマックスがTVシリーズでのクライマックスである「めんまとの最後のかくれんぼ」でしたから。
既存シーンをクライマックスに据え、しかし、その後10分以上は残り時間があったと思います。
この残り時間は物語的な盛り上がりは無くて、それまでの90分同様静かに・優しくめんまを想う時間。
感動的な(新しい)オチやどんでん返しのクライマックスがある訳ではありません。

ですが、終始めんまを想い、めんまが想っていた彼ら6人の青春の日々を描き切っていた100分。
あくまでも後日談を描いた「無くても問題無い」けれど「無くて良かった」と思えるような作品では無い。
「あって良かった」「見て良かった」「作って下さってありがとうございます」
そう思える映画でありました。

終わりに

取り敢えず、公開2日目の昼間の回に行ったのに、先着来場者特典の「泣いてもいいんだよボックスティッシュ」が影も形も無かった件。
特に欲しいとは思ってなかったけれど、こう無ければ無いでちょっとだけ悔しいwww

そうそう。
週替わり特典のポストカードは頂きました。
これが予想以上に良かった。
めんまが可愛い。
なんか俄然あなるの分が欲しくなったので、4週間後にもう一度行きます。

大画面・大音量で、最初から最後まで泣かしに来る映画です。
もう一度感動を味わいたいので、喜んで足を運ばせて頂きます。

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