「サザエさん時空」と「名探偵のパラドックス」と「名探偵コナン」

「名探偵のパラドックス」

「名探偵コナン」や「金田一少年の事件簿」等々。
ここは漫画・アニメを扱ったブログですので、敢えて漫画作品を例として挙げましたが、これらミステリ全般に言える事として「事件に会い過ぎる」というものがあります。
当たり前と言えば当たり前ですよね。
事件解決を物語の主目的としているジャンルなので、毎回事件に会うのは当然の理屈。
でも、この事を指摘して「おかしい」「不自然」という批判もある。

「コナン」は、この批判を逆手にとって作中でメタギャグにまでしていますよね。
いつからか目暮警部が殺人現場に居合わせる小五郎に向かって「またお前か」、「この死神が」等と言う様な事を言い始めて、今ではすっかり定番のやり取りになっていますw

さておき。
先日放送された「めだかボックス」第12話に於いて、この事を称して「名探偵のパラドックス」としていました。
「主人公がいるから事件が起こるのか?」または「事件が起きるから主人公がいるのか?」…。
この「名探偵のパラドックス」という言葉。語源が何なのかは分かりませんでした。
元来ミステリ作家である西尾維新先生の作った造語なのかもですが、兎も角ミステリにはどうしても付いて回るパラドックスであると思います。

「サザエさん時空」

もう一つ。
漫画に於けるミステリは、どうしてか作中の時間経過が無い作品ばかりです。
キャラクターが歳を取らないという事ですね。
「金田一」も「コナン」も主人公は皆高校2年生で止まっている。
僕が知る中では「Q.E.D.」が作中で一年進級しましたが、それでも42巻も続く現在時間が経過したのはこの1年だけ。
やはり時間が止まっていると見做しても然程問題は無いかと思います。
(そういえば「探偵学園Q」はきちんと時間が移ろいでいた作品でしたね。)

これらの事を称して「サザエさん時空」と呼ばれています。
「サザエさん」のようにキャラクターが歳を取らない世界観の事。
でも、何故か春夏秋冬四季は巡るし、時事ネタはしっかりと反映される。

この「サザエさん時空」。一口に言っても色々とありますよね。
時間の進み方や「時空」への入り方等々、作品に寄って様々。
これを詳しく紹介されていたのが「どらまん。」さんの以下のエントリーです。ご参考までに。
参考:漫画の時間の流れ方分類

さてと。この「サザエさん時空」に関しては「金田一」で面白い事になってます。
94年11月から翌年3月まで連載された「金田一少年の殺人」。
このエピソードでは、ポケベルがキーアイテムとして登場します。
今の若い人は、多分名前を聞いたこともないかもですねw(流石に名前くらいは知っている人が大半…かな?)
調べてみると、意外にも日本でのサービス開始は古く1968年からだそうです。
契約者数が爆発的に増えたのは86年であり、ピークが96年だという事。
以降下火になっていったのは、携帯電話やPHSが普及し始めたからですね。
という事で、94年当時はポケットベルは最先端(とは言えないけれどw)のアイテムでした。
勿論当時のハジメちゃんは不動高校2年生です。

現在、20周年を迎えた同作。
最新シリーズでは、登場人物が当たり前のようにスマートフォンを使用していたりします。
当然ハジメちゃんは高校2年生です。20年間留年し続けたわけではありませんw 17歳のままです。

このように、時代時代を反映してはいるけれど、キャラの歳はそのまま。
そのまま…と言っても作中で誕生日を迎える事もあります。
「金田一少年の殺人」で美雪が誕生日を迎えていたりしますしね。
だから正確に言えば歳は取る。けれども新年度に移行する事は絶対に無いという事で。

これもまた批判の的となっています。特に「コナン」で。
ギャグ漫画ではスルーされる設定ですけれども、ストーリー漫画になると受け入れられない人が多いようです。
他のミステリ漫画とは違って「コナン」は黒の組織との対決を軸にしていますから、厳しい目で見られちゃうのでしょう。
特に「コナン」では、何を思ったのか「新一がコナンにされてから数か月しか経過していない」旨の発言を蘭に言わせてしまいましたw
作中で春も夏も秋も冬も、幾度となく巡ってしまっているのに…です。
この件もまた批判の声を大きくしてしまっているのだと思います。

以上2点を合わせて批判の的となっている「コナン」。
コナン好きとして、なんとかここを擁護したいw
という事で、一つ考えつきました。
これらの批判を上手く回避する凄くナイスな案…だと勝手に想っていますw

コナンに於けるサザエさん時空を解釈する

僕の途方もない解釈を書く前に、批判されている点を改めて纏めてみます。
「1年(新一が消えて数か月と言う設定は敢えて無視して)も経っていないのに、事件に出会い過ぎ」。
わぁ、たった1行で纏まってしまったw

という事で、この批判を回避する手段は何かないかというのが僕が自分自身に課した命題です。
ではこの回避方法を今から書いていきます。

先ず、「サザエさん時空」とはどういう事か考えてみます。
一般的には、「コナン」に於ける「サザエさん時空」は、あくまでも「とある1年間の出来事を15年以上に亘って描き続けている」とする考えが多数派ではないかと思っています。
例を上げてみます。
下図のように、作中で1年に4つの事件が起こったとします。

通常の漫画(「サザエさん時空」でない作品)ならば作中の時間軸同様に現実の連載でも第1の事件から順番に描かれていきます。
が、「コナン」では…
 第2の事件を現実の2006年に
 第4の事件を現実の2007年に
 第1の事件を現実の2009年に
 第3の事件を現実の2011年に
それぞれ描いているのではないか…とするのが、僕が見て来た「コナンのサザエさん時空」を説明した説です。
「それ町」などのように時系列をシャッフルしているという訳では無く、穴埋めパズルのような感じです。
連載1年目に、2月3日に起きた事件と2月5日に起きた事件を描いて、2月4日に起きた事件を2年目以降に描く…みたいな。
(これは青山先生が緻密に計算して、日にちの穴を埋めるように作られているという訳では無いと思います。)
自分がネットを徘徊した中では、この説が最も多かったのですね。
だからこそ、「事件が多過ぎて不自然」と思われているのでしょうね。
1年間は365日で、それ以上の数の事件に遭遇している⇒1日に2つ以上の事件にあっている事となる⇒有り得ない…という考え。
余談ですが、76巻までに「コナン」で描かれた事件の総数は233。
原作だけでは実はまだ1年分(365件)も行ってないのですw

僕の解釈はこの時点から違っています。
「サザエさん時空」の解釈の相違という事ですね。
キャラクターが歳を取らないという事は、つまりは同じ時間を永遠にループしているという事に等しいと思います。
2000年1月1日から物語が始まった場合、2000年12月31日の作中に於ける翌日は、2000年1月1日になる…という事ですね。

SFで言う所の「ループもの」と大きく違う点は、元に戻った時点で、世界そのものも1年戻るか否かだと思います。
ようするに強制タイムリープ…ですね。
例を上げた方が僕の言いたい事も伝わりやすいと思います。(文章下手でスミマセン)
1回目の3月1日で亡くなった人間は、2回目の1月1日になると蘇る…という事です。
また、3月1日になると亡くなる訳ですが、このようにSFではスタート地点に戻ると、世界そのものの時間軸も1年戻る事が多いと思います。
(このエントリ上では、面倒なので「ループ」という言い方をさせて頂きます。)

対して「サザエさん時空」は一度起こった事は基本そのままという事ですね。
一度死んだ人間は二度と生き返らないし、過去は無くなったりしない。
現実同様に過去がどんどん重なり合っていくという事です。
ただし、同じ年をループしているから、キャラクターの年齢だけは重なっていかない。
ループと言うより、スパイラルしていると考えて貰った方が適切かもしれません。

かなりキツイ解釈ではありますが、これならばキャラが歳を取らない理由も、作中の文明が進歩している点も納得出来る…と思ってほしいですw

これを図にすると下のような感じ。

赤線の間の時間軸を永遠に繰り返している。
けれど、線は重なる事は無い。
で、最終回付近でこのスパイラルを抜けて(赤線を超えて)、通常通りに時を刻む。
これが僕の「コナンに於けるサザエさん時空」の解釈です。

たった一つの冴えた解釈(嘘)

という訳で、この解釈を踏まえて、批判を見直してみます。
すると、たった一つだけこの批判を回避する手段があるのですね。

これは上に書いた世間の解釈から来る批判と全く逆の理屈です。
現実の1年間に描かれた事件が全て、同じループ内で起こった事件とは限らないのではないかという解釈。

「コナン」は今年で連載18年目。
という事で、作中でも最低18回ループしていると考えられます。
現実の時間と作中の時間が同期している訳では勿論無いですけれど、ある程度の四季は同期していますので。
ただ、現実の時間軸と同期していないという事は、この回数はあくまでも最低数で、実はもっと多くループしていても別におかしくは無い訳で。
100回、200回とループしているのかもしれない。

そもそも「サザエさん時空」というのは、現実では想像も出来ない…SFですら説明不可能な謎設定。
こういう突拍子もない事が起こっていたと考えても、そこまで可笑しな事では無いと思うのです。

で。
本題はここから。
これまで200以上の事件に遭遇してきたコナン君。
ですが、実はどの事件が何回目のループの時に遭遇していたのかは描かれていません。
作中ではあくまでもループなんかしていない設定なので当たり前ですがw
なので…ですよ。
実は、1ループ中に起こった事件が非常に少なかったとしたら…。
例えば、1回のループの中では、10以下の事件にしか遭遇していないのだとしたら「名探偵のパラドックス」も幾分和らぐんではないでしょうか。
だって、ほら。
1年(1回のループ)に10程度の事件にならば、普通に出会いますもの。
…嘘です。一生に1回遭遇すれば多い方ですね。

ま、でも、物語の主人公が遭遇する事件の割合としては、非常に少ない方だと思います。
こういう考え方をすれば、「サザエさん時空」も「名探偵のパラドックス」もどちらの批判も回避出来るんじゃないでしょうか?

おわりに

超絶苦しい言い訳になってますがw
まぁ、でも、僕は「サザエさん時空」はOKな人間なんですよね。
面白ければ、キャラが歳を取ろうと取るまいとどっちでも構わない。

また「名探偵のパラドックス」に至っては、「主人公が居るから事件が起こっている」と考えています。
主人公を探偵や刑事にしたならば、活躍を描く為には事件を頻繁に描かないといけませんからね。

うん。
こういうのは、あまり頭を使わないで受け入れた方が良い気がしますw
勿論こういうのが許せないという意見もあるでしょうし、それはそれで正しい付き合い方だとも思います。

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