「げんしけん」の主人公交代に纏わる考察

この記事は

「げんしけん」考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

12巻が発売されました。
いや〜面白い。
主人公が変わったのに、以前と変わらない面白さを持っているこの作品は、結構稀な気がします。

という事で、今回は「げんしけん」をもとにした主人公交代に関する記事です。

主人公が変わるという事。

「げんしけん」以外にも主人公が交代する作品と言うのは、多々あると思います。
でも、成功と呼べる作品って意外にも少ない気がします。
パッと思いつくのは「ジョジョ」でしょうかね。他にもあるかな?
ちと思いつきません。

いや、考えてみると失敗した具体例も思いつかないですがw
ただネットとか見ていると「DB」ですら「失敗例」として捉える向きもあるようですね。
「DB」はちょっと違うと僕は思っていますが(成功では無いでしょうけれど、失敗と言うのとはまた違うというか)、そう思っている方がいるのは事実。

何が言いたいのかと申しますと、主人公の交代ってかなりのギャンブルだという事ですね。
前々から言い続けている事なのですが、主人公というのは、作品のキモなんですよね。
主人公が読者に受けるかどうかで、作品そのものの人気も左右されるくらい重要だと個人的には考えています。
わざと主人公を没個性的なキャラに仕立てている漫画もありますので、一概には言えませんが。

そんなギャンブルに出た「げんしけん」。
初代主人公である笹原から二代目・荻上に変わったのですが。
僕としては「成功例」であると思っています。

何故か?
この作品の本当の「主人公」は「現代視覚文化研究会」そのものであると認識しているからです。

僕の見る「げんしけん」の主人公

さて。作品的な主人公は、上にも書いたように笹原と荻上です。
でも、僕はちょっと違う意見を持っています。

主人公の変遷として
笹原⇒斑目⇒笹原⇒荻上
だと考えているのですよね。

つまり、”げんしけんの会長が、作品の主人公になっている”という認識。
僕は会長こそ、「現代視覚文化研究会」の代弁者のようなものだと思っているのです。

最初の「私的主人公」を笹原だと思っているのは、笹原が「公式の初代主人公」だからです。
上の僕の考えに倣うのであれば、本来ならば初代会長が「私的初代主人公」であって然るべきなんですが…。
初代会長って全くと言っていい程出番が無いんですよね。
非常に影が薄い。
彼の影の薄さは、その為だったんじゃないかと思うのです。
笹原を主人公に見せる為、初代会長は影が薄かった。
そういう勝手な解釈の元、僕は「私的初代主人公」は初代会長では無く、「公式の初代主人公」(ややこしいな)である笹原であると考えています。

さて。この僕の考え方で物語を振り返ってみます。
第11話までの物語(初代会長が会長の時代)は、笹原が中心でした。
げんしけんへの入会。初のエロゲープレイ。秋葉原へ出向き、コミケデビュー。

これまで興味だけはあった「オタク世界」にげんしけんに入った事で嵌っていく様を描いていて、やはりここまでの主人公は笹原であったのではと実感できます。

で、12話にて会長が変わります。
二代目会長・斑目の誕生ですw
ここで僕は作品の主人公も斑目に交代したと見ています。
彼が会長を務めた21話までの流れを見返すと、これまで通りのオタク文化に染まる大学生の青春群像劇を描きつつも、ヒロインを咲とした斑目の恋に纏わるエピソードが多くなっています。

14話なんて斑目と咲だけのエピソードですしね。
文化祭の流れ…ボヤ騒ぎから各メンバーの自宅訪問(斑目の家に咲が行く)なんていうのは、斑目を主人公としたラブコメとしてみると面白いです。

こういった斑目主人公ターンを経て、物語はまたしても笹原に戻ります。
22話で笹原が三代目会長に就任。
24話にてヒロイン・荻上が登場します。
ここから「初代」最終回となる55話までは、笹原と荻上のラブコメを中心に展開されます。
笹原自体は36話で会長で無くなるのですが、僕は第一部の最後まで彼が作品の主人公だったと思うのです。

4代目会長の大野が「私的主人公」として考えていないのは、彼女の就任回である36話にあります。
唯一モノローグが無いのですよね。
「〇〇会長就任」という。

斑目の時も、笹原の時もあったのに、大野の時は無かった。
しかもこの回は、斑目たちの卒業の話が中心で、会長交代劇はついででしか無いというか。
たったこれだけの理由ともいえない理由なのですが、僕は大野を主人公にカウントしませんでした。

まぁ、もう少し言い訳をしますと、大野の時代も「笹原と荻上のラブコメ」を推し進めていたからですね。
大野の色である「コスプレ」はあまり前面に出ずに、寧ろ大野が2人の関係を後押ししていた。
笹原主人公時代の流れを変えずにいたから、僕は大野を主人公と見做せなかったと。
んでも、そうは言っても大野が目立っていた事は変わらないので、彼女を「4代目主人公」にカウントしても良い気もします。

まとめ

結局は、「げんしけん」という設定を活かした強みなのだと思います。
今の時勢に「二代目」として五代目会長・荻上を主人公に連載が再開されたのは、世の中がそういう風潮になったからだと思います。

会長が女性だからなのでしょう。
今までになく女性会員の増えたげんしけん。
中でも中心となっているのが、波戸賢二郎君ですね。
彼が男だと分かってショックを受けた人。逆に喜んだ人。
それぞれ多かったと思います。

僕はかつての某「バーコードファイター」の桜ショックを受けた身としては、然程の衝撃は無かったのですが。
(小学生だった当時は本当にショックを受けました)

波戸は所謂「男の娘」ってやつですよね。
これはwikipediaによると、古くは「ストップ!! ひばりくん!」まで遡るようです。
この作品が最初かどうかは分かりませんが。

言葉自体が使われ出したのが2000年頃の2ちゃんねるらしく、でも、ブームとなったのは最近の2009年〜10年みたいですね。

二代目の読切が掲載されたのも、連載が始まったのも2010年なので、これは偶然では無いのでしょう。
「げんしけん」の続きを描くならば、会長である荻上の性癖からも、こういった事は積極的に取り入れられる事が予測できますし、実際波戸というキャラクターを以て具現化しています。

話作りに幅を持たせるこういった現実のムーブメントが、「現代視覚文化研究」を謳うサークルを描いた「げんしけん」に影響を与えるのは必然で。
この作品の主人公が会長だというのも、同じように必然。
だからすんなり交代を受け入れられるし、僕はこの交代劇は成功だと思うのです。

もしも9巻にて会長が荻上になってなかったら。男の娘・腐男子などがブームになっていなかったら。
もしかしたら「二代目」は無かったのかもしれませんね。
それはそれで全く別の「二代目」が始まっていたかもしれませんけれども。

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