「伊賀の影丸」が忍者漫画の決定版であり続ける理由に関する考察

この記事は

「伊賀の影丸」の考察記事です。
何故か「暗殺教室」のネタバレがありますのでご注意下さいませ。

はじめに

「伊賀の影丸」。
「魔法使いサリー」、「鉄人28号」、「バビル2世」、「三国志」等を世に送り出した横山光輝先生の代表作です。

伊賀忍者であり江戸幕府お抱えの公儀隠密である影丸と忍者達の壮絶な忍術合戦を描いたバトル漫画です。
1961年から5年間「週刊少年サンデー」で連載されていた作品なので、もう50年以上も前になるんですね…。
当然その頃僕は影も形も無い頃であり、この作品は父から薦められて読み始めました。
読み始めた時は小学生だった僕は、この漫画に惹かれて行きました。

それから時は経って、改めて読み返してみたんですけれど、「忍者漫画」だな〜と。
これぞ忍者漫画という点が多々見受けられました。
中でも「暗殺教室」で語られていた「暗殺とはどういう事か」が中心に据えられたバトル描写が「忍者漫画」だなと想わせてくれました。

忍のシビアな生き方

バトル漫画の大切な要素に「バトル中の緊迫感」が挙げられます。
格闘技や喧嘩を「バトル」としている作品は除き、生死を分ける命懸けの戦いを扱っていれば、自然と死を描く事の重要性は増します。
どんな状況でも仲間が命を落とす事が無い。
仮に死んだとしても、制限なく生き返る。
こういうのはバトルの緊迫感を削ぐ要素となり得ます。

「伊賀の影丸」は、緊迫感に溢れた作品なんですよね。
分かりやすく数字で表してみます。
この作品は本編9章で構成されていて、作品を通したレギュラーは影丸と彼の上司である服部半蔵しかいません。
他はみんなその章限り(例外はいます)のゲストキャラクター。
ここではそんな仲間のゲストキャラクターの生存数に着目して表にしてみます。
尚、名前の登場しないモブキャラは除きます。

章タイトル仲間人数生存者
若葉城の巻5人0人
由比正雪の巻5人0人
闇一族の巻5人2人
七つの影法師の巻6人0人
半蔵暗殺帳の巻9人3人
地獄谷金山の巻4人0人
邪鬼秘帳の巻3人0人
土蜘蛛五人衆の巻6人2人
影丸旅日記の巻4人1人

45人中生存者6人。(2人程2度登場して、2度とも生き残っているので重複を避けてます)
圧倒的な少なさです。
死に過ぎです。

でも、それ程この作品には緊迫感があるって事なんです。
影丸以外、いつ誰が死ぬか分からないのであり、読んでいてハラハラドキドキ出来ます。

ちょっとした短所としては、キャラ描写が少ない点でしょうか。
1篇辺り1巻から2巻ほどのボリュームで描かれている今作で、基本キャラクターは章毎に入れ替わります。
キャラによっては出て来て数ページで殺される事もしばしば。
名前すら死の間際になって分かる事も少なくありません。

得意の忍術を披露して、敵を倒すか、倒されるか。
キャラの見せ場はそこだけに集中しているので、どういうキャラなのか掴めない様になっています。
だから、死が淡白に描かれていますし、読んでいても特別な感情は湧きにくい。
「ああ、やられちゃった〜。残念」と感じる程度かな。

死がドラマティックに描けないという事は短所と言えますが、ここは世界観の設定でカバーしています。
「七つの影法師の巻」にて服部半蔵が部下の死に際してこう呟いています。

「つまらぬことで すぐれた部下をうしなったものじゃ」
「しかし将軍家につかえ 平和を守るのが役めのわれわれだ いたしかたないのう」

仲間の死は辛く哀しいものだけれど、公儀隠密という性質上闇に生き、闇に死ぬのは仕方がない。
そういうシビアな世界に生きている影丸達は、仲間の死に囚われないんですよね。
ドラマを作る気が無いとでもいうのかな。
ドラマティックにする必要性を排除している。
キャラ描写に関しても滅私奉公という感じで解釈すれば良いのかなと。

忍者という暗殺者の戦いを描いている

影丸以外のキャラが死んでしまうといっても、別に影丸が滅茶苦茶強いって訳ではありません。
他の忍者同様彼独自の忍術は持ってますが、それも無敵の忍術って訳では無い。
死なないとか特殊な能力を持ってる(死なない忍者は敵で出てきますがw)訳でも無いし、サイヤ人でも無い。
宇宙一ツイている訳でも無ければ、能力者って訳でも無いんです。

不思議な忍術を使って、身体能力が異常ですけれど、普通の人間と大差ない。
忍者としてちょっとばかり他よりも優れているだけなんです。

これは他の忍者も一緒。
1人不死身の化物みたいなライバル忍者もいますけれど、基本的に皆「人間」なんですよね。
毒を浴びれば当然のように死んじゃうし、手裏剣数発で倒れてしまう。
バトル漫画に良くあるような「異常なほど頑丈」でも無いので、普通にダメージを受ければ死んでしまいます。

だから、強さのインフレとは無関係。
パワーで勝負が決まらず、あくまで忍者の戦いが描かれている。
この漫画のパワーインフレ回避策を見ていきます。

ヒントは「週刊少年ジャンプ」連載の「暗殺教室」にありました。
第72話「音の時間」。
現時点でコミックス未収録のエピソードなので、ネタバレを避けたい方はこれ以降を読まないで下さい。

ここで暗殺の実践について語られてました。
相手が手練れであればあるほど、気配を悟られ、「暗殺」から「戦闘」へ引き摺り込まれる。
戦闘が手こずれば増援が来て不利になる。
この状況を打開するには、場を再び「戦闘」から「暗殺」に引き戻す。

忍者というのは隠密行動が主であり、戦闘は基本的にしません。
というか出来ませんw
この点を忍術を用いて戦うというフィクションである本作も取り入れている可能性が高いのかなと。
基本的に出てくる忍術は「相手に止めを刺す必殺系」が少ないんです。

敵を惑わすものや相手の隙を作るもの。
間接的に攻撃を加えるもの。
この3つが大半ですね。
必殺系は毒によるものが多い気がします。

主人公の影丸も一緒。
彼の「木の葉隠れの術」は敵を眠らせたり痺れさせたりするもの。
致命傷を与えるようなトドメを刺すものではありません。

ようは、忍者も暗殺者なんですよね。
正面切って戦っている様で、どう「暗殺」に持ち込むのかが戦法の基礎となっている。
故にパワーインフレを必要としていない。
相手の虚を突く事が主眼に置かれ、幻術、目つぶし、煙玉、変わり身、分身等が多用されている。
猫だましで、「戦闘」から「暗殺」に持ち込んでいる忍者の戦い。

必殺系の技が無い分派手さには欠けますけれど、しっかりと忍者の戦いを描いているんです。
現実の忍者は、忍術も使わない(使えない)し、戦う事も無い。
けれど、もし忍術を使えて戦うのであれば、相手の虚を突く事や暗殺術を用いる戦法が主となるんではないか。
そうすると、この漫画の戦い方からは「忍者の戦い」がしっかりと見えてきます。

おわりに

忍びの生き様と戦い方。
それをしっかりと描き切っている。(と勝手に考えているw)
この漫画が連載開始から半世紀経過して尚「忍者漫画の決定版」と言われる由縁なのかなと。
「忍者漫画の決定版」というのは宣伝文句ですけれどね。

白土三平先生が築き上げた(と思っている)忍者漫画ですけれど、少年誌に定着させたのはこの作品だと思うのは、僕の妄想かもしれません。
けれど、忍者漫画をジャンルとして定着させた作品の1つではあるんでしょうね。

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