映画「続・終物語」感想

中途半端な僕という存在

「化物語」⇒見た
「偽物語」⇒見た
「猫物語」⇒見た
「物語シリーズ セカンドシーズン」⇒見た
「憑物語」⇒見た?
「終物語」⇒…いつやったの???

考えてみれば「傷物語」も1章しか見れて無いんですよね。
ここ2年程病気やった影響で、私生活がgdgdしてたので、テレビのレギュラーシーズン以外気を配れなかったり。
と言い訳してみる。
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そんな訳で「終物語」を見てないのに、「続・終物語」見てきました。
感想です。

長いよ。

本編とは関係無いんだけれど、上映時間に驚きました。
イベント上映ってなってたから、てっきり30分か、長くて1時間ほどかなと思ってたんですね。
原作の事考えれば、当然そんな事無いって分かりそうなものなんだけれど。

そんな状態で、滅多にないんですが、珍しく予約せずに映画館行ったんですよ。
ポケGOのイベント(直近1ヶ月毎週土曜にイベントがあって、流石に辟易してきたw)終わるのが15時。
そこから映画見て、17時には家帰れるかなと頭の中で大雑把に予定組んでたら、上映時間2時間半ってなってて目ん玉飛び出た。

エンドクレジット見る限り、正味20分ほど(TVシリーズと同じ時間)を1話とした全6話を長編映画として再構成したようですね。
そんな訳で…。
ぶっちゃけると睡魔との戦いになります。

基本的に会話だけなので…ね。
演出を工夫して飽きないようにしてるとはいえ、2時間半会話劇を見続けると、どうしても眠気が襲ってきます。
内容もこれまでの伏線を回収するという訳でも無ければ、物語が進む訳でも無い。
あくまでも終わりの続きですからね。
エピローグの更にその先の物語なので、言うなれば「見なくても問題無い贅沢な蛇足」。
ファンディスクのファンディスクみたいな位置づけ。
ファンの中のファン向けの作品なのです。
僕みたいな中途半端な人間だと眠くなるのは道理…というのは言い訳ですね。

とはいえ、ファンにとっても人によっては退屈を覚えると思う。
ファンディスクというのは、どうしてもキャラ好きに向く傾向があります。
本筋の物語が完結してるので、ある種必然ではありますよね。
でも、今作はキャラが好きなファンだとしても厳しい。
暦とひたぎ、月火を除いて基本的に皆「別キャラ」になってるからです。

違うんだよ。
僕は童女の真宵が好きなんだよ。
童女で幼女で小学生の八久寺真宵が好きなんだよ。
お姉さんで暦に自分から絡んで行ってスキンシップする真宵は………こういうのもイイかも(チョロイ)

でもやっぱ違うかな。
舌足らずでわざとらしく噛んじゃうし咬んじゃうあざとい真宵が好きなんだな~。
「ありゃりゃぎさん!」と快活に元気よく懐いてくる真宵が好きなんだ。

つまり、火憐が最強。
火憐最強。

火憐最強説

本来の世界の火憐は実に惜しい存在。
僕にとっては少しだけ惜しいキャラ。
顔は可愛いし、声も最高に好き。
なんだかんだ「兄ちゃん、兄ちゃん」と懐いてくるところとか可愛い。
ただ、強くて・寧ろ強すぎて、そして大きいのがちょっと残念ポイント。

やはり(二次元の)妹は庇護欲くすぐる存在であって欲しい。
小っちゃくて、可愛い存在であって欲しい。
大きくて、守ってあげる必要が無くて、寧ろ守ってくれる格好良い妹はなんか違うよね。

鏡の世界の火憐は「女の子でありたい女の子」。
背が小さくて、暦と目線を合せようと一生懸命ぴょんぴょん跳ねちゃう女の子。
可愛い。

強さはどうなんだろう。
描写が無かったので定かではありませんが、「女の子」ならか弱いのかもしれない。
「強すぎる」というのは火憐を現す最大のトレードマークにしてアイデンティティ。
「失われる20%」には”入らない”要素に思えますので、世界観設定的にも鏡火憐は「強くない」とした方が適切だろうか?
まぁ、その辺どうしても妄想の域を出ませんが、兎も角(描写内的には)「強くない」=「普通」の女の子だったので、「理想の火憐」だった。
可愛い。

兄好きっぷりも健在。
恥じらいが無いわけでは無いのでしょう。
女の子だもの。
裸を見られて平気な訳ではないし、普通の反応ならすぐに「出てけ~」と怒るところ。
全裸を視姦されても怒るどころか、堂々と晒せるのは、兄を好き過ぎるからに違いない。
「家族に見られても減るもんじゃなし」って男っぽい思考だからという可能性も考えたけど、それだと下着姿を見られるのを嫌う点と矛盾しそうなので却下。
結論としては、「兄ちゃんになら見られても…」となった。
可愛い。

妹はこうあるべき的な気持ち悪い偏向した感想となり、誠に申し訳ありません。
が。
こういう遊びが出来るもの、元々のキャラがしっかりとしているからなんですよね。

やはりキャラ愛に溢れている

先にも書きましたが、今作の殆どのヒロインは元々のキャラとは違う「もう1つの姿」で登場してきます。
故にキャラ好きには楽しめないと纏めましたが、「人によっては」という言葉もくっつけました。
その「人」にこの言葉を贈ります。
「もう一度考え直して」と。
言葉を贈りたい。僕自身に。

火憐が代表的だと思うのですが、彼女達の鑑の中の姿は、何も完全なる別人という訳ではありません。
心の奥側に潜ませていた1つの側面が、肥大化し表面に出てきた姿です。
見方を変えれば、鏡の姿もまた、正しく火憐なんですよね。

勿論あくまで内面の話で、外見の事じゃないです。
流石に身長は変わりようがありませんからね。
「小さな女の子」のような性格の火憐もまた、火憐の正しい姿であると。

ならば、これはキャラ愛に通じますよね。
一見別人と思われた鏡の中のヒロイン達も、また、本来のヒロイン達に違いないのだから。
よりキャラを理解出来るという意味では、必見とも言えます。

また、このようなことが出来るのは、元々のキャラがしっかりと確立してるからでしょう。
元々がぶれていたり、曖昧だったら成り立たない物語です。

一見、別人に思えたのも。
真実を知って、あれもまた彼女達の一部なのだと納得出来るのも。
元々のキャラが立っているから。
この辺りの理解もキャラ愛に通じます。

やはりこの作品は、ファンディスクなんですね。
キャラ愛を深く深く感じられる。新たな理解を促してくれる作品であったと。

この感想を書くにあたり、改めて作品の事を振り返って、そんな風な考えになりました。

終わりに

そうそう。
今作の正ヒロインは、老倉育で良いのかな?
メインビジュアルが彼女ですから。

とすると、彼女を愛でるのも正しい鑑賞の仕方なのでしょう。
うん。
明るくて人懐っこくて、暦大好き。
可愛い。
わりと彼女を見れただけでも楽しめたw
一部眠くなったのは事実ですけれど、考え直せたこともあって、鑑賞して良かったなと思えました。

追伸
dアニメストアで「終物語」が配信されているのを確認しました。
今度見ておきます。

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