「戦闘力…たったの5か…ゴミめ…」のシーンは超重要だという考察〜「DRAGON BALL」考察

この記事は

「DRAGON BALL」考察記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

当初は「H×H」の記事を更新予定でしたが、ちょっと考えが纏まらない為、こちらを先にw
以前書いた「パワーインフレの扱い方から見直すバトル漫画(前編) DBを構成した2つの要素に関する考察」の補足のような記事です。

スカウターが齎した物

サイヤ人強襲!
ラディッツの登場は、これまでの「DB」の世界観をぶっ壊す程の衝撃でした。
悟空やピッコロが宇宙人という驚愕の事実も判明し、世界はおろか宇宙(と「あの世」w)にまで作品の舞台が大きく広がったのですから。
まぁ、悟空達が宇宙人だという”事実”は、連載初期の鳥山先生でも驚かれたはずですが(笑)
原作者すら驚くほどの大展開!

そんな新展開の中で颯爽と登場したのが、スカウターですね。

これは非常に面白いアイテムでした。
これまで明示されてこなかった悟空達の強さが数字となって表現されたのですから。
これによって、読者にも手に取るように彼らの強さが分かるようになったのですよね。

数字というモノは非常に便利です。
僕らの身近に存在する最も普遍的で分かりやすい尺度であり、誰にでも同様の理解を植え付ける事の出来る代物。
何より大きな説得力を生み出します。

数字の大きい方が強くて、勝負には勝つもの。

という大原則が成り立ちますし、これが覆った時のカタルシスは相当なものになる…と思うのです。
ようは、余計に悟空の戦いにのめり込める。
悟空が勝った時の爽快感がこれまで以上のモノになる。

とはいえ…。
適当な数字を付けられちゃうと逆に冷めちゃいますよね。
その辺、この漫画は絶妙だったと思うのです。

悟空達の戦闘力

当時の悟空達のスカウターの数値をざっと書き出してみます。

〇悟空
 平常時 334
 戦闘時 416(重い道着を脱いだ状態)
 かめはめ波 924
〇ピッコロ
 平常時 322
 戦闘時 408(重い道着を脱いだ状態)
 魔貫光殺砲 1330
 悟飯修行時 329
〇悟飯
 平常時? 1
 キレた時 1307
〇クリリン
 平常時 206
〇亀仙人
 平常時 139
〇天津飯(推定)
 平常時 250
〇ヤムチャ(推定)
 平常時 177

作中で判明しているのはこんなところ。
意外にも小さな数字です。
それまでの彼らの戦いを見ていれば、数万単位だったとしても納得しそうです。

ですが、ここで何10ケタもの莫大な数だったら、流石に呆れちゃう可能性の方が高いと思うのですねw
これまで悟空達がどれだけ強いのかは描かれてきたものの、その強さを数値化されるのは殆ど初めて。
そんな初めての状態で、天文学的な数字では引いてしまうというものです。
戦いが逆に白けてしまう。

なによりも、折角の数字に説得力が無くなってしまうというモノ。
あまりにも大きな数字は、それがどれだけ凄いのか把握できにくいものです。
でも、3ケタ位ならば我々は比較対象し得るものを既に得ている事が多く、それだけ身近に感じれるんですよね。
その「比較対象し得るモノ」とは、RPGゲームですね。

大抵のRPGのHPは、3ケタ…大体300〜500程度あれば、ラスボスをも倒せるレベルです。
RPGをやったことさえあれば、それだけで悟空達の戦闘力がどれ程のものか感覚的に掴める。
そういう絶妙な数字だったと思うのです。

このスカウターですが、この後フリーザとの戦いの中でひっそりと消え行くのも納得ですね。
戦闘力が何十万・何百万(というかそれ以上)もの世界に突入してしまい、数値化の弊害が現れてしまうのですから。

ブウ編にて新しく「キリ」という単位が出て来ましたが、超サイヤ人1状態の悟空で3000と、見かけの数値上は小さくなったというのも、こういう弊害を十分に把握してのものだったと言えるのではないでしょうか。

という事で、スカウターでの戦闘力数。
実に良く考えられていたのではないかというお話だったのですが、僕は更に説得力を増す演出が取り入れられていたのではと考えています。

農夫のおっちゃんは偉大

数字というモノには、おのずと説得力が付与されていると考えています。
子供の頃はRPGの影響で、999という数字が凄く強いものという認識でしたし、100はペーパーテストから「最高の数字」というイメージを持ち、逆に0はダメダメな数字。

数が大きい程「良い」とか「強い」という概念が色々な物から刷り込まれて、それが結果的に「説得力」に転嫁されているというか。

ただ、この説得力というかイメージは、個々によって差がある訳ですよね。
これを画一化して、平等な説得力を与えたい。
そうすれば、誰が読んでも、ある程度同じ目線で作中の戦闘を楽しめる。

ではでは。
当時の悟空が自分自身(漫画の読み手である貴方自身)と比べて、どれ程強いのか。
考えたことはありますでしょうか?

殆どの人は無いと思いますし、僕もありません。
そんな事を考えたことは無い。
でも、無意識的にはこの辺の事を意識しつつ作品を読んでいたのではないかなと思うのです。

また話を変えます。
ヒーローがヒーローであり続ける理由に関して。
「仮面ライダー」を例に出してみます。

この「仮面ライダー」。今は兎も角昭和期のライダーには必ずと言っていい程子役のレギュラーがいたりしました。
年端もいかない、番組の主ターゲット層としていた少年・少女と同じ世代の子供。
そういった子役を結構良いポジションで出し続けていた。
少年ライダー隊とかジュニアライダー隊とか。

こういった事を何故していたのかというと、視聴者の少年・少女に感情移入して欲しいから…だったと思います。
確か。(他にも理由はあったのかもですが)

視聴者の子供たちを作中の子役に感情移入させて、自分がライダーに守られている感・ライダーを応援している感を出したかった。
そんな意図があったと当時のスタッフがインタビューで答えていたように記憶しています。
僕の記憶が捏造されたのでなければ、そうだったと思うw
間違っていたらゴメンナサイ。

その辺の僕の頭の悪さはさて置きまして…。
これって、ヒーローがヒーローたり得る理由を雄弁に物語っていると思うのです。
ヒーローには、彼らが守るべく「弱い存在」が必須なのです。
子供やお年寄りなど弱くて守るべき人間がいるからこそ、ヒーローはヒーローであり続けられる。

視聴者は当然「弱い」側なので、同じように弱いキャラに感情移入しやすいし、彼らを自分自身とシンクロさせたりなんかする。
つまりは、視聴者に近しい「弱い」キャラがいれば、作中に明確な判断基準を作れるわけですよね。

「DB」の話に戻ると、この漫画はまさしくヒーロー譚でもある訳です。
僕にとっても孫悟空は立派なヒーローでした。
そんなヒーローを陰ながら見守り、そして守られているキャラというと、ブルマやウーロン達になるのでしょうか。

つまりは、僕ら読者にとって最も身近な存在であるのが、ブルマ達一般的な身体能力を持つ地球人な訳で。
彼らの戦闘力が分かれば、自分と悟空の力の差も理解出来る。
それがある程度把握できれば、悟空の強さがより手に取るように(と書くと大袈裟ですが)理解出来る。
バトルにも説得力が生まれて、より楽しめる。

が、残念な事にブルマ達「一般人」の戦闘力は一切出て来ませんでした。
ウミガメが戦闘力を図られていたような気もしますが(調べたら0.01だったそうでw)、これは論外w
チチは格闘経験もあるので、これまた論外。

一般人の戦闘力は分からないのか…なんて思う人は「DB」を一度でも読んだことがあればいませんよね。
この作品。
記念すべき一番最初に戦闘力を測られた人。

「戦闘力…たったの5か…ゴミめ…」

実は超有名人の

農夫のおっちゃん(cv.松尾銀三さん)です!!
偶然ラディッツに出会ってしまったばかりに、ゴミとまで言われ、挙句ネットでネタにされまくってしまっている可哀相なおっちゃんですw

そう。
このシーン。
本当にネタとして使われまくっていますが、実は超・超重要なシーンなのだと思う。

農夫という事は、それなりに力があって、極々普通の庶民。
一般的な成人男性と比べても平均か、やや上くらいには力がある筈。
そんなおっちゃんの戦闘力が5なのです。

僕らの戦闘力もきっと1〜4程度で、おっちゃんと大差ないはず。

こうして作中にこれ以上無い程明確な基準が出来たわけですよ。
戦闘力5以下の僕らと334もある悟空との大きすぎる差。
悟空の凄さが少しは測れるはず。

兎も角、このおっちゃん一人の犠牲のお陰で、読者に均一のイメージを植え付ける事が出来たと思うのです。
悟空達の戦闘力に説得力が生まれ(どれだけ強いのかが分かり)、ベジータの脅威がどれ程のものであったのか理解しやすくなる。
(ちなみにベジータの戦闘力は18000)

今としてはネタにされまくっているシーンですが、実は無くてはならないシーンだった…のかもしれませんw
(ネタにされている状態は愛ゆえだと思っていますw)

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