遠い過去と遠い未来をつなげる…「ヒカルの碁」からの架け橋

この記事は

「ヒカルの碁」が大変面白かったので書いた記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

完全版読破!したので今更感想

「ヒカルの碁」完全版全20巻をようやく読み終えました。
連載終了から8年。って、もうそんなに経っているんですね。
僕もオッサンになる訳だ。
ジャンプコミックスでは買っていなかったのですが、完全版で買い始めたのが去年かな?一昨年?
なんだか忘れちゃいましたが、結構な時間を掛けてコツコツと集めてきて、ようやく最後まで辿り着いたんですよ。

こう8年ぶりに最終回を読むと、なんていうか…本当に…
これで終わり?って感じのラストだったんですね(汗
ヒカルが負けて、日本チームが最下位に終わって…。
表彰式に向かう各々の姿を映して、それで終わる…。
これっぽっちも最終回らしくない終わり。
第一部の終わりは凄く綺麗だったのに、全体としては非常にすっきりしない終わり方。
本当にこれで終わっていたら、こんな記事書いてないです。
でも、実際には記事を書いている訳で。

最終回の後の番外編2本。これが素晴らしいのなんのって!

「遠い過去と遠い未来をつなげる」…というのは最終回でヒカルが絞り出したセリフの一部ですが、
これを実に見事に体現していたのが、この番外編2本。

先ず前半は「遠い過去」に関するお話。
佐為と塔矢の再戦を軸に描いたエピソードで、佐為は塔矢が自分の影をどこまでも追ってくるだろうことを察知する。
現在(塔矢)と過去(佐為)を結び付けているのですよね。
塔矢がいなければヒカルはきっと囲碁に興味を持たなかった。
塔矢が佐為だけを見ていたからこそヒカルは目覚めたのであって、そういう意味では2つの世代の架け橋はヒカルよりも塔矢であったと見れる。

もちろんヒカルも架け橋になった訳で。
その過程を丹念に描いていたのが漫画本編であったと僕は思いました。
まさしく上記の台詞をヒカルが口に出したのがその証左かな。

さて、お話は番外編に戻りまして。
続いての後半はヒカルよりも次の世代の子供たち(庄司君と岡君)の物語。
ヒカルらの活躍が下の世代に影響を与えて、夢を持たせているという事が描かれていました。
非常に分かりやすく現在(ヒカルや塔矢達)から未来(庄司、岡ら)へのバトンタッチがなされている。

番外編を読んで「説明しすぎ」と感じる方もいるかもですが、僕は本当に感動しちゃいましたよ。
この番外編2本があって、過不足なく綺麗に「ヒカルの碁」が完結している。
読み終わって、そう素直に感じました。

「ヒカルの碁」。その次の世代へ

下の画像は完全版20巻、ヒカル対高永夏(こよんは)からの一コマです。

「アタリにいけば切られ 外からあてられ下辺は白地」
「コスんでも…外からこられて やっぱり下辺が白に固められてしまう」
このページのヒカルの台詞ですが…
意味わかりますでしょうか?
たった1ページの1コマを切り取って意味わかるかなんて無茶も良いトコですけれど。
全部ちゃんと読んでいても僕には意味が分からなかったですw

この漫画は囲碁の内容を事細かに描いている訳では無いので、台詞の意味を正確に知る必要はあまり無いと思っています。
僕のように囲碁の事を何も知らない人間でも面白く読めたのは、ストーリー展開の速さと何より小畑先生の迫力ある画の力だと思っております。
台詞の意味が分からなくても、キャラの表情などから状況を把握できていたから問題なく読めていた。

でも、上の様な専門的(?)なセリフの意味が分かっていた方が余計に面白く感じるのは考えるまでも無いですよね。
分からなくても問題ないとはいえ、分かっていた方がより物語に入り込めるので、良いに決まっていますよ。

ここが唯一この漫画の弱点かなと。
弱点というのは言い過ぎですが、専門的知識を持っていた方が良いというのは少しだけ敷居を高くしているんじゃないかな〜。
この点を改善出来れば、「ヒカルの碁」という”過去”を受け継ぐ”未来”の作品が生まれてくる!
そんな作品が生まれていた事を最近僕も知りました。

「ちはやふる」ですね。

ふぅ〜。ようやくここに話が繋がったw
そうなんですよ。
僕は「ちはやふる」をアニメでしか知らないペーペーですけれども、この作品は「ヒカルの碁」の後継だと信じております。

共通点がいっぱいあるからですね。
マイナーな競技*1を題材にしているという点。
スピーディーな物語展開。
試合の模様…つまりは囲碁やカルタの中身に深入りせずにさらっと流しているという点。

アニメを1クール見続けていて、この想いを強くしていたのです。
でも、やっぱり題材としている競技には踏み込んでいないなぁとも感じていました。

競技かるたのルールは、アニメ後のミニコーナーや本編などでもちょくちょく触れてくれていたのですが、もっと奥深い事。
そういうのを描いていないなと思っていたのですね。

「ヒカルの碁」で言えば、戦略などのより専門的なものには触れておらず、「ちはやふる」も同様に戦略については描かれてこなかった。
「ヒカル」ではこの点問題にはならなかったのですよね。
描く必要が無かったといってもいいかな。
囲碁を覚えるのは一朝一夕では不可能だし、非常に奥深いものであると素人でも分かります。
それ故に碁の強いキャラが出て来ても、その強さに疑問を持たなかった。

でも、かるたって違うんですよ。
囲碁よりもずっと身近で、誰しも一度は学校などでやったことがあるんじゃないでしょうかね。
お正月に親戚が集まって遊びでやった事がある人だっているでしょう。
僕も小さなころは遊びでやりましたし、学校でもやりました。
(やっていたのは「競技かるた」ではなく「百人一首」ですが)

だからこそ「ちはやふる」で描かれていた「強さの差」に疑問が生まれました。
クイーンの詩暢とちはやの差が何なのか分からなかったのです。
ただでさえ強いと思っていた主人公を圧倒的なまでの力量差で敗る詩暢の「強さの訳」を理解できませんでした。

(かるたを取るスピードが)速ければ良いんじゃないの?と。

自分自身やった事があるからこその疑問。
「ヒカル」では問題化しなかった専門的な事に踏み込む必要性が生じた…と思っていたら、この間の18話ですよ。
すんげぇ分かりやすく、しかもたった1話で色々な”戦略”がある事を描いていて。

速ければ良い訳では無いという事がしっかりと描かれていたんですよね。
僕の間違った常識を打ち破ってくれたのです。
この瞬間、僕は「ヒカルの碁」の次の世代の作品が現れた事を確信しました。

囲碁よりも単純な分、奥深い事を描くことを求められた作品で、見事にその期待に応えてくれた。
専門的な事も分かりやすく楽しく、そして物語にしっかりと根ざして描かれていた。
「ヒカルの碁」という作品が「遠い過去と遠い未来」をしっかりと繋いでくれた。

名作に古いも新しいも無く「ヒカルの碁」は今読んでも最高に楽しい作品です。
そんな名作の系譜に「ちはやふる」もきっと刻まれるんじゃないかな!
と原作未読のにわかな僕がほざいてみる(笑

*1:漫画の題材としてはマイナーという意味です。

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