「封神演義」を「引き伸ばしが無く綺麗に畳まれた名作」にした、たった一つの伏線

この記事は

「封神演技」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

長い前振り

漫画にとって、幸せなのはどういうことなのでしょう。
個人的には、先ず何より完結する事だと思っております。
これは漫画に限らず全ての創作物に言える事ではありますが。

作者の急逝や何らかの事情での絶筆。連載誌の廃刊・休刊。
その他、トラブルを引き金とした無期休載等々。

“未完”のまま、形だけ完結した作品も多い中、しっかりと終われる事が一番だと思うのです。
作品というのは、完結して初めて「作品として完成する」ものだと思うので。
美術界や建築界を見渡せば、未完であっても「未完の傑作」として讃えられている物もあり、一概には言えない事かもしれませんけれど。
ガウディのサグラダ・ファミリア(スペイン/バルセロナ)はその代表例でしょうか。
(今でも建築中であり、何れは完成するやもしれないですが)

話を戻して。
完結した作品の中でも、更に2通りに分けても良いとも考えます。
引き伸ばしが行われた作品と引き伸ばしが無く綺麗に畳まれた作品です。

この区別を外部からつけることは容易ではありません。
「DRAGON BALL」のように亀仙人が親切に「引き延ばされています」と教えてくれる事は稀なので(笑
大抵は読者一人一人の判断に委ねられる部分ですね。
全編を読んでみて、「引き延ばされていたな」と感じるか否か、感覚によって異なる部分とも言えそうです。

また、これによって、作品としての完成度そのものに影響が及ぶかというと、これもまた単純な決めつけが出来ない部分です。
露骨な引き伸ばしがあろうと名作として誉高い作品も多数ありますし、逆に引き伸ばしが原因で佳作止まりの評価の作品もあり。
引き伸ばしの有無は、作品そのものの評価には大きく影響を及ぼさず、影響しているように思えても作品の評価を定める際の一要因に過ぎない。

ただ、引き延ばし感が見られずに綺麗に初志貫徹した作品に出会うと、感動すら覚えます。
ついつい「名作だ」と人に薦めたくなっちゃうんです。
矛盾しているようですが、この感覚はなんなんでしょうね。
「人気が出れば引き伸ばしが当たり前」という固定概念が植え付けられているからでしょうか。
だから、この概念をひっくり返した作品に出会う事で感動するのか?
よく分かりませんが、名作に思えてしまうのです。

そんな訳で、個人的に「引き伸ばし感が無く、綺麗に畳まれた作品」を考えてみました。
その際の条件としまして、「打ち切られたか否か」は考慮しません。
打ち切られていても、綺麗に畳まれた作品も存在するからです。
寧ろだからこそ、無駄な脱線も無く追われたという作品もあるかもしれません。
この辺は、作者の力量・広げられた風呂敷の大きさ・打ち切り猶予期間等々が影響してくることでもあり、色々難解になるというのも考慮しない理由として挙げておきます。

てなわけで、考えてみると色々と思い浮かびます。
「鋼の錬金術師」、「虹色とうがらし」、「惑星のさみだれ」…。
特に後者2作は、巻数も少ないですし、是非に読んで頂きたい名作。
「惑星のさみだれ」に関しては、過去に記事にもしましたので、今度「虹色とうがらし」について書きたいですね。
(そういや、「虹色とうがらし」は作中に何度となく「虹色とうがらしを救え」って書かれてましたねw打ち切られたのかな???ま、いいや。)

閑話休題。
こういった名作たちの中でも、「引き伸ばし感が無く、綺麗に畳まれた作品」として真っ先に思い付いたのが、これです。
藤崎竜先生の「封神演技」!!

今回は「封神演技」の素晴らしさを書いていきます。

余談は続くよどこまでも

「週刊少年ジャンプ」の連載作って、なかなかどうして作者の思うとおりに終われる事って少ないです。
これは、全ての漫画雑誌を見渡しても同じ事が言えるのですけれど、「WJ」には特にそう感じる部分でしょうか。

実力(人気)至上主義。

人気があるうちは、いくらでも引き延ばされ、無くなってくると例え一時代を築いた作品でも打ち切られてしまう。
非常に分かりやすく、これを徹底しているからでしょうか。
とはいえ、かつての黄金時代には「作品がボロボロになるまでは続けさせない」みたいな不文律があったらしいですけれども、今はどうなんでしょう。

本が売れなくなってきた昨今。
漫画界も例外に漏れずかつてのように売れまくるというのは少なくなってきてますしね。
今、初版100万部を達成するような漫画が出て来るかどうかも…。
「暗殺教室」とか一部ですよね、その可能性を秘めているのは。

そういう背景も考えれば、どうしても人気作は「続けられるまで続けさせたい」と思ってしまうのかもですね。
40巻、50巻超えなんて、業界見渡してもザラになりつつあります。勿論「WJ」に於いても。

んで。
この「封神演技」って、ちょうどそんな黄金期と「本の売れない時代」の過渡期に連載されていたんですよね。
黄金期を支えた3本柱が次々と終わり、「WJ」本誌の部数がどんどん目減りしていった時代。
かつての不文律は鳴りを潜め、なるべく続けたいという意向が強くなり始めた頃…なのかもしれません。

そんなころに始まっておきながら、綺麗に終われた。
こういうのも、この作品の凄い所なのかなと思っております。
ただでさえ「WJ」で綺麗に終われる事って凄い事ですしね。

で、何故「引き伸ばし感が無く、綺麗に畳まれた」と感じたのか。
それは、序盤に張られた1本の伏線にあります。
この伏線が、その後の物語全てに「最初から想定されていた」と思わせる力があったのかなと、今になって思うのです。

ラストを早めに提示する事。

「封神演技」を含め、バトル漫画の物語の骨子というと、例えばこんな感じですよね。

敵が現れる。
そいつを倒すために仲間を集めたり、修行をしたりする。
敵と戦い、倒す。

基本的な道筋の一つがこんな感じで、あとはコレのループ。
倒した敵より更に強い敵が現れて、またそいつを倒し。
そしたら、もっと強い敵が出て来て…。

このループの回数自体は然程問題では無く、問題は、作品最後の敵がいつ現れるかでしょうか。
ようするに作品のゴール地点をどの時点で読者にばらしておくかが、バトル漫画で引き伸ばし云々を見極める際に重要ではないかと。

これが、ループの最終週。
最後の敵を倒す直前だったり直後だったりすると、作品全体の長さ等にもよりますが「引き延ばされていたんだな」と感じることでしょう。
そうではなく、例えば最初のループ時に分かっていたら、「最初からここを目指していたんだな」という事が分かり、引き延ばされた感を感じにくいのかなと。
勿論、最終章までの過程も重要ですけれど、大きなポイントはココではないかと思うんです。

先程の具体例でも出しました「ハガレン」と「惑星のさみだれ」はまさしくこのパターンですよね。
どちらも序盤でラスボスを明示し、それを倒す事で、作品としても終焉を迎えた作品。

いつも通り前置きが長くなりましたが、では、「封神演技」のラスボスは誰ぞ?というと、女禍でした。
終始妲己だと思わせておいて、終盤にひょっこり出てきた宇宙人っぽい外観をした女性(?)の敵。
ぽいというか、マジで宇宙人なので当たり前ですけれどもw
まあ、この女禍ですが、初めて名前が明かされたのは第165回「歴史の道標 一」(JC第19巻)。
訂正です。第160回「牧野の戦い-イントロダクション-」(JC第18巻)です。ごめんなさい。

全23巻の作品なので、本当に終盤です。
これだけ見ると、終盤近くに存在が提示されたという事で「引き延ばされていたんだな」と感じてしまいます。

実際、細かい事は忘れていた当時。
本誌で連載を読んでいて、「何だコイツ?」と思ってしまいましたもの。
唐突に出て来て、何故かラスボス風を吹かしていて、変な奴だな〜くらいにしか思えなかった。

けれど、実際は違ってましたよね。
存在自体は折に触れ「歴史の道標」という名称で出てきてました。
その一番最初。
それが第13回でした。

2巻ですよ。2巻。
物語的には太公望の完敗という形で序章が終わり、哪吒(なたく)を仲間に…(きっと)出来た頃です。
更にいえば楊戩(ようぜん)初登場の回です。

そんな超序盤に飄々と申公豹が言う訳です。

「…………おそらくはあれの所に行っているのでしょうね」
「妲己の背後でうごめく巨大な流れの所へ……」
「今はあれを”歴史の道標”とでも言っておきましょう」

妲己の背後に黒幕が居るコト。
即ちラスボスであることを思いっきり示唆したセリフです。

これは、紛れも無く先の展開を見据えた上での伏線です。
あとから辻褄合わせで作り出した伏線では無い。

読み返してみて、ハッと気づける面白味もさることながら、こんな序盤からゴールを提示し、僅か23巻という短さ(長編漫画にしては短い部類に入ると思う)で完走した。
最初に提示した女禍を倒す事で。

これが、「封神演技」が引き伸ばしが無く綺麗に畳まれた作品であると感じる最大の理由です。

終わりに

久々にパラパラっと読み返してみると、もう序盤から伏線のオンパレードですね。
元始天尊が直接妲己を倒しに行かないのを誤魔化していたり(第1回…これは伏線とは違うかな…)
「悪い仙道しか載ってない」筈の封神の書に土行孫の名前が書かれていたり(第3回)

まあ、挙げればキリが無さそうです。

兎も角非常に面白い漫画ですよね。
いや〜昨夜「キングダム」を読んでいて「うおおおおお燃える、面白いいいいいいい」とかやっていたら、ついつい「封神」を読み返してみたくなってしまい(笑

この熱は、もう少し続きそうなので、来週あたりにももう1本、この漫画をネタに記事を書いてみようかと思います。
テーマは「太公望の釣果記録」です。
ですが、書けるかは不明です。(纏まらなくて途中で投げ出す可能性大w)

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