「キン肉マン」の矛盾は許されて今の作品が許されない理由の考察

この記事は

「キン肉マン」の記事です。
ネタバレありますのでご注意下さいませ。

はじめに

最近は漫画やアニメに整合性がより顕著に求められてきている気がします。
少しでも矛盾があろうものなら、指摘され、場合によってはそれだけで評価を落とされる事もあるようです。
何故このような風潮が生まれてしまったのかといえば、僕はネットの発達が第一だと思っております。
不特定多数の方が様々な視点から作品を鑑賞し、その感想をネット上で公開する。
すると、1人では気づかなかった点に気づく事もあるし、目ざとい人の意見が目だったりもする。
そういうモノが積み重なっていき、重箱の隅を突くような意見も出始め、次第に「完璧性」を求める様になったり。
または、矛盾を見つける事こそを楽しみにしたり。
ともあれ、ネットの発達によって、矛盾の無いストーリー構築というのが作品には求められ、作品側もよりそこに注力されているような気が致します。

そこで、「キン肉マン」ですよ。
いや。「キン肉マン」に限らず、全てのゆでたまご漫画に言える事なのかもしれません。
ネットをしていれば、1度は見かけたことがある筈です。
「ゆでだから」とか「ゆで理論」という言う言葉を。

矛盾が満載「キン肉マン」

そう。
「キン肉マン」といえば、矛盾が満載の漫画です。
正直探せばいっぱい出てきます。
中でもトップクラスに有名なのが7人の悪魔超人でしょうか。

ピクシブ百科事典よりメンバー紹介部分を抜粋します。

バッファローマン
 7人の中のリーダー格で、超人強度1000万パワーを誇る超人。ミートの頭を所持。
スプリングマン
 全身バネの肉体を持つ超人。ミートの左腕を所持。
アトランティス
 半魚人のような姿の超人。ミートの右足を所持。
ザ・魔雲天
 全身岩石の巨大な超人。ミートの腰を所持。
ミスターカーメン
 古代エジプトの王族のような装いの吸血超人。ミートの左足を所持。
ブラックホール
 顔面に大きな穴の開いた黒ずくめの超人。ミートの右腕を所持。
ステカセキング
 ステレオカセットのような姿の超人。ミートの胴体を所持。

7人の悪魔超人といえば、今も昔もこの7人です。
が、初登場時は、全然面子が違いました。
JC第10巻「地獄からきた7人の巻」。
初登場時のコマを写真で写したのが下です。

画像が悪くて申し訳ありませんが、描かれているのは上から順に
スプリングマン(正規メンバー・顔のデザインは違うけれど)
アトランティス(正規メンバー)
プリプリマン(誰?)
ミスターアメリカン(Who?)
アーム・ストロング(…。)
ブラックホール(正規メンバー)
バッファローマン(正規メンバー)
の7人。

正規メンバーは4人だけで、謎の超人が3体混じっています。
プリプリマンに至ってはケツだけ星人です。
全く怖くありません。

んで、この次(正確には2コマ後)のコマが下の画像。

8人に増えていて、
謎の超人A
クモのコチラス
ミリオン・ヘル
フラッシャーバルーン
の4人がそれっぽく描かれています。
最初のコマに描かれていた正規メンバー4人以外の3人が消えています(笑
この次の回より7人の正規メンバーが確定する訳ですが、この手の矛盾が溢れているんです。

で。
ネットが発達した現在、このような事を称して「ゆで理論」等と云われているのですが、これは決して揶揄して使われている訳では無いという事ですね。
ここは凄く大事な点。
非難の対象となっていないんです。全然OKだと考えられている。

ネットの発達が矛盾を許さない環境の一役を担っているという僕の考えとは外れる事象です。
何故なのでしょう。
理由を3つほど考えてみました。

理由その1

1つ目は、端的に。
ネットが発達する以前より矛盾が多い事は有名だったから。

もう分かりやすすぎるほど分かりやすいのが、「キン肉マン」に内在する矛盾の数々の特徴です。
ネットどうこうでは無く、多くの人に昔から知られていたからと考えられますし、最もスマートな理由かなと。

理由その2

2つ目は、ギャグ漫画だったから。
この話題、どうやら2ちゃんねるでもスレッドが立ったことがあるようですね。
スレッドを纏められた記事がググったら出てきました。
「何でキン肉マンの矛盾は許されて今の漫画のは許されないの?」というスレ。
この中にもあったのが、この理由。

「キン肉マン」は、当初から暫くの間ギャグ漫画でした。
格闘技大会である「超人オリンピック編」を経ても、バトル方面にはシフトせずに、一度はギャグ路線に戻る位、気合いの入ったギャグ漫画でした。
この辺の事は、別記事にも書きましたので、お暇だったら覗いてみてください。

参照:「キン肉マン」考察 カラーの多さと路線変更と超人オリンピック

閑話休題。
ギャグ漫画といえば、矛盾は笑いのエッセンスの1つです。
どんな目にあっても死なない。
地球を割れる。
割れても直ぐに元に戻る。
「Dr.SLUMP」を頭の中で思い出しながら書いてますが、矛盾はギャグに出来る要素なんですよね。
元来ギャグ漫画であったから、矛盾も受け入れられていると考えると、結構納得出来るんです。

理由その3

最後3つ目は、隠そうとしないからではないでしょうか。
通常矛盾が発見された場合は、整合性を保つべく修正が入ります。
前後の辻褄が合うように物語が再構築されて、矛盾点を消す訳です。

漫画の場合は、本誌掲載時点で矛盾点が発見される事も多く、その場合の多くがコミックス発売時に修正されます。
「金田一少年の事件簿」なんかが有名ですね。
あれはミステリ漫画であるという性質上、矛盾はほぼ全てに於いて致命傷となりますので、発見され次第コミックスでは修正されています。
「黒死蝶殺人事件」は本誌連載時には真犯人の正体が簡単にバレてしまうレベルの致命的なミスがあったらしいですよ。
そのせいで、この事件の真犯人正答率は随分と高かったとか何とか…。

話を戻しまして、多くの場合はコミックスで修正される。
初版で間に合わなかった場合は、2版目以降に適宜直されていきます。
「矛盾が無かった事」にされる訳です。
ですが、「キン肉マン」ではこのような作業がされている気配が無いんですよね。
本当に致命的な物に関しては、直された事もあるのかもしれませんけれど、基本的には無いと思うんです。
もしも、過去に修正がされているんならば、上に挙げた悪魔超人の件はとっくに直っていて良いはず。

人間は隠そうとされればされるほど、気になって穿り返そうという気になっちゃうものです。
(これは勿論性格に因るんでしょうけれど)
修正されれば、気になっちゃう。
けれど、全く修正せずに堂々としているから、「そういうものだ」として受け入れられるのかなと。

終わりに

勢いがあって、熱い作風が、矛盾の全てを些細な点に変換しているというのもあるのでしょう。
僕が考える様な3つの理由の合わせ技も効いている人も居るかもしれない。
何れにせよ「キン肉マン」にとって矛盾は欠点では無いという事ですね。

で、最近僕は思うんです。
多少の矛盾なんか気にならないような作品が観たいな〜と。
「キン肉マン」のような作品を。
細かい事気にするなよという熱い作品を。

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