「魔人ブウ編」は悟空の世代交代問題を考えると最重要なシリーズとなる 「DRAGON BALL」考察

「DRAGON BALL」はどこで終わってれば良かったのかという論争

「DRAGON BALL」を語る上で外せないのが「作品の終了時期」ではないでしょうか。
ファンによってまちまちで、どこどこで終わってれば良かったと意見が分かれます。
初期の冒険譚を好む人は本格的なバトル方面へシフトする節目となった「RR軍編」で。
物語として一区切りついた「第23回天下一武道会編」(vsマジュニア編)で。
マジュニア編での終わりは、物語としての大きな区切りとなっている為「此処で終わっていれば」と考える人も多いかもですね。

「サイヤ人編」から「人造人間・セル編」まではストーリーが地続きとなっているので、次に「終わって欲しかった」ポイントは「人造人間・セル編」になるのかな。
どうもネットを見ていると「魔人ブウ編」の評判が芳しくない為、余計にこのような論争(?)がファンの間で巻き起こっているのかもしれません。
あとは、連載期間の長さもそうですね。
連載当時から僕の周りでもこのような論争はありましたし、その原因が長い連載期間でした。

けれども、僕自身の感想は違うんです。
単純に「ブウ編」の初期や「Dr.SLUMP」を彷彿とさせるノリを楽しんでいたというのもありますし、よく言われる「長すぎた」とも感じておらず。
寧ろまだまだまだまだ連載が続いていて欲しかったくらいで、だからか、最終回までの全てを「面白かった」「良かった」と受け入れているクチです。
ようするに、途中のどのタイミングに於いても、終わって欲しかったとは思っていないんですね。

しかし、これだけだと話が終わっちゃいます。
ただのファンの一意見として、わざわざブログで表明する事でも無い。
ブログで表明する程必要のある意見・考察なんて今までもこれからも一つも無いとはいえ、もう少し持論を書いてみようかなとw

そこで、悟空の考える世代交代に焦点を当ててみたいと思います。
ここを振り返り、掘り返す事で、「ブウ編」での終わりは良かった・意味があったのだと少しでも感じてくれると嬉しいかな。
そういう気分になってくれるような記事に…なる…のか??
無理でしょうけれど、そこを目標に書いていきます。

尚、予め言っておきますが、商業的見地からの考察は一切排除しております。
「〇〇で終わらなかったのは、人気があって終わらせられなかったから」というのは周知の事実ですので。
519話での終わりでさえ、編集部や関係各社は止めに入っていたとも言われていますしね。
こういうのは抜きにして、作品の終わりについての考察です。

最終回で相応しかったと思う2つの区切り

先ずは各ポイントで「最終回として相応しかったのかどうか」を検証…というか、僕自身の考えで纏めてみます。
個人的には、2つのポイントで最終回でも問題無かったのかなと考えます。

1つ目は「第23回天下一武道会」。
マジュニアことピッコロとの戦いまでの悟空は、まだまだ現役を志す一武道家でした。
神様との会話にそれが顕れています。

其之百九十四「ドラゴンボールの贈りもの」より
神「孫よ。おぬし、わたしにかわって神になってくれぬか…。その資格はじゅうぶんにある。ふたりで天界に住むがいい…」
悟「えっ!?オラが神に!?じょ、じょうだんじゃねえ。やだよ!!あんなたいくつなとこにいたら、それこそ死んじゃうよ!オラぜったいやだからね!!」
神「孫!神だ、神になれるのだぞ。わたしのあとを引き継ぐのはおまえいがいにはおらんのだ!」
悟「べー」

単純に暇で仕方のない神の暮らしが嫌だっただけと捉えるのが正解でしょう。
けれど、戦いの第一線から退くというのを嫌ったと見ても、然程おかしい事ではないと思うのです。
この直前には、逃がしたピッコロに向かって、「更に強くなれ。オラはそれを更に超えてみせる」という決意表明もしています。
まだまだ研鑽を積み、体を鍛え、楽しい戦いに明け暮れていたいという想いが強く伝わってくるのです。
この時、代わりとなる後継人もいない為、また「地球の為」という考えも無かった気がします。
この頃の悟空は世代交代のせの字も考えていなかったと推測します。

その為「孫悟空の物語」として「DRAGON BALL」を捕捉すると、この時点での終了が非常に綺麗となります。
内容的にも亀仙人がこれまでを綺麗に総括してますし、まるで最終回のような雰囲気で締められていますから。

2つ目。
「人造人間・セル編」ですね。
これをもって一先ず「孫悟空が主役の物語」である「DRAGON BALL」は完結している訳で、ここでの最終回というのも納得せざるを得ないんです。
次世代に引き継がれたという点に於いても、息子である悟飯にバトンが渡されていますしね。

悟空は、自分よりも強くなった悟飯にその後を任せ、安心して死ぬ道を選んだ。
「悟空のせいで地球の平和が脅かされていた」というブルマの意見を飲んだというのもありました。
思えば、このブルマの意見が悟空に世代交代を意識させた始まりなのかもしれません。
作中で実際にブルマの台詞として残っている訳では無い為、どの時点での発言かは不明ですが。
界王様すら納得しちゃったこの考えを飲んで、「自分が居ない方が平和だろうし、万が一強くて悪い奴が現れても悟飯が守ってくれる」という考えで、悟空はあの世で暮らす事を選んだと。
この悟空の考えが本当に正しかったのならば、ここで終わっていて良かったとも思います。

以上より、この2点で終わっていても綺麗に終われていたと考えているんです。
が。
あの世界の物語はまだまだ普通に続いていっていくんですよね。
作品として最終回を迎えたとしても、作品世界の時間軸は進み続けている。
だから、当然の疑問が浮かびます。
悟空のいない地球は本当に大丈夫なの?という疑問。
という訳で、セル打倒から7年後の世界をちょっとだけ覗いてみました。
すると、この疑問に対する答えとして、悟空の考えは簡単に否定される訳です。

悟空がいなくても悪い奴は関係無く地球にやってくるし、後継者も役割を満たしていないという事実が判明します。

魔人ブウの「敵」としての異質性

魔人ブウの襲来を「悟空のせい」とするには、いささか無茶が過ぎます。
たった1日、死人である悟空が地球に戻ってきた日にバビディが表立った活動を始めたのは、単なる偶然です。
勿論偶然で片づけられるのでしたら、全てがそうと言えるのですが、少なくともマジュニア(ピッコロ)、ラディッツ、ベジータ、フリーザ、セル達は「悟空のせいで地球にやってきた」悪人達でした。

ピッコロ大魔王の生んだ最後の卵を見逃してしまった点から始まり、かつて地球に送った弟の様子を見に来たラディッツもそう。
ドラゴンボールを求めやってきたベジータ達も、そもそも悟空が地球に飛ばされていなければ現れる事は無かったでしょう。
フリーザやコルド大王は悟空がフリーザをナメック星で仕留め損ねたからだし、セルら人造人間にしてもレッドリボン軍を倒してなかったら生まれなかった。

悟空のせいで悪人が引き寄せられているというのは、あながち間違った意見じゃないんですよね。
何かしら悟空と因縁があり、次々と地球に現れていた訳です。
でも、魔人ブウだけは違います。

悟空とは何の関係も無いんです。
遥か昔、地球に堕ちた最悪の魔人が、たまたま悟空の帰って来た日に復活しただけ。
悟空が居なくたって、悪い奴はやってくる。
ブウの存在によって大事な大事な事実が1つ証明されているんです。
今までの敵には無い異質性が大事になってくるんですよね。

また、後継者に指名した悟飯は、学業を優先。
セルを倒した時より力を落としていました。
それでも悟空は怒りさえすれば誰にも負けないと言ってますので、悟飯の強さには相当な自信があったようです。
弱くなってしまった点も、平和になったら学者になる事を認めていたので、ある程度想定済みだったんじゃないでしょうか。
悟空の誤算は、想像以上のブウの強さと怒る間もなく悟飯がブウに「殺されてしまった」事でしょうね。

ベジータに気絶させられている間に事態は悟空の想定を悪い意味で外し、急遽悟飯以外の後継者の擁立を余儀なくされた。
そりゃそうなります。
信じて疑ってなかった後継者であるはずの悟飯が死に、また、「自分がいなくても悪い奴は出てくる」と感じたでしょうから。

死んでいる自分がブウを倒したとしても、次になにかあったら地球は確実にヤバい。
未来を考えれば、後継者の育成はなによりも優先すべき事項になります。

「魔人ブウ編」は「悟空がいなくなっても本当に大丈夫なの?」という疑問に対するアンサーシリーズ

ブウとの最終戦で、悟空がこうベジータに打ち明けてますよね。
太っちょのブウならば超サイヤ人3で倒せたって。

悟空が後継者の必要性をどれだけ考えていたかに着目して見ると、この台詞は決して後付とは考えられない説得力があるんです。
「魔人ブウ編」は、「悟空のいない地球がどれほど危ういのか」を描いていて、悟空はその対策として育成に力を注いでいる物語だったと。
但し、育成が失敗だったというオチがついています。

トランクスと悟天を新たな後継者に任命したものの、時間を掛けられたら負けると分かった。
悟飯に関しては、地球を守らせるよりも学者にしたいという親心の方が勝ったのかな?
兎も角、最終的にブウと戦ったのは悟空だったし、ブウへのトドメを「多くの人々の力」で刺したという点に於いても、「決定的な後継者が出来なかった」という事実を浮き彫りにしています。

物語はこの失敗から一転、「正統後継者」の育成を臭わせる形で閉じられています。
ブウの生まれ変わりであるウーブを鍛えて、未来を託すという形で。
強く鍛え上げたウーブと純粋に戦いたいというのは、なんとも悟空らしいですしこちらも目的の1つには違いないでしょうけれど。

「魔人ブウ編」って、「悟空がいなくなっても本当に大丈夫なの?」という疑問に対するアンサーシリーズなんですよね。
この疑問に対する物語の出した答えとしては、「悟空がいないとダメ」となり、じゃあ、悟空がいなくなった後はどうすれば良いのかという最終回に向けての繋ぎともなっている。
「ブウ編」があったからこそ、「人造人間・セル編」から続いていた悟空の後継者問題に真の意味でケリが着いた。

「人造人間・セル編」で終わっていても綺麗に畳めたと思います。
けれど、残された疑問には答えられていないから、やっぱりこの時点で終わるべきでは無かったという結論。
「ブウ編」はこの疑問へのアンサーとしての重大な役割があったというのが僕の言いたかった全てとなります。

終わりに

こうして自分の考えを纏めてみると、改めてアニメ版の区切り方って綺麗だったなと思えますね。
「第23回天下一武道会編」で無印を一旦最終回とし、以降を「Z」として切り離しているんで。
「DBZ」に入ると、もう「ブウ編」は必須と僕は考えますし。

ただ、「第23回天下一武道会編」での完結を「ここで終わってちゃダメだよ」と否定する術を僕は持ち合わせていません。
だから、ここで終わっていればと考えられているファンの方にとっては特にどうでも良い考察になっているんですがw
なので、そうじゃないファン。
アニメで言う「Z」以降から実際の最終回以前で終わっていればと考えられているファンの気持ちを少しでも揺らす事が出来たのであれば、この記事は成功です(笑

ここまで駄文にお付き合いして下さった方にお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

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