「サムライ8 八丸伝」思わず「違う。そうじゃない」と漏らしてしまったとあるシーンが頂けなかった

この記事は

「サムライ8 八丸伝」の感想です。
ネタバレあります。

評判が悪すぎる気がする

鳴り物入りで始まった「サムライ8 八丸伝」。
「NARUTO」の岸本先生が原作を担当し、新鋭の大久保先生が作画を担当。
個人的には第1話は好調なスタートを切ったと思っています。
しかし、世間的にはそうでも無いのかも…。
twitterのTL見てると「つまらない」って意見の方が強く映るんです。

とはいえ、それは「僕の周りの評判」。
狭い範囲の評判なので、あてにはなりません。
遂に待望のコミックスの発売も決まり、なんと1・2巻同時発売という好待遇。

デザインがイカス。
白を基調として、黒と赤のフォントとか最強過ぎる。
うううむ、格好いい。
兎も角、コミックスの同時発売を見る限り編集部としては、「負けられない戦いがそこにはある」という雰囲気を出してきておりますが、強気な編集部とは裏腹に本誌の掲載順位は低調です。
僕の狭い観測範囲内評価はあてにならなくても、掲載順は警鐘を鳴らしています。

第12話で巻頭カラーを取って以降の掲載順位を下から順に数えてみたのが次の表です。

話数掲載順(下から)
135
146
154
165
174
183
195

この掲載順のなにがヤバいって、「サムライ8」より後ろは全て最近の新連載ってところですね。
ここ半年の新連載陣、何1つとして生き残れる気がしねぇ。
その中にどっぷりと本作も入ってしまってるところに、岸本先生のファンは大きな危機感を抱かなければならないところでしょうか。

ただ、前述のように他の新連載陣の方が危険水域に居るため、年内に打ち切られることはほぼ無いでしょう。
ここから急降下でもしない限りは、ギリギリかもですが安全圏にいます。

これからの3か月でどこまで人気を回復出来るかが、大きなカギになりそうですね。
だけれど…本当に人気出るのだろうかと不安になる最新第19話だったのです。
これは…駄目じゃないかといよいよ本気で思い始めた。

ウケてない理由はなんだろうか

その前に、ウケてないのは何故なのか。
個人的に考える理由をいくつか挙げてみます。

(1)読みにくいセリフ

岸本先生は連載開始時のインタビューで「NARUTO」を当てた作者だからこそ、小難しい設定のSFに挑戦できるという主旨の発言をされています。
手前みそではありますがと断った上で、「取っ付きにくいSFでも、NARUTOの作者だから読んでもらえる」と想定したうえで、「だからこそ、本格的なSFと大好きなサムライが共生する世界観の物語に挑戦できる」と。

つまりは、「設定が込み入っている」ことは承知の上でのスタートではあったと想定できるのですけれど、それにしても設定が頭に入ってきません。
作中に八丸自身に突っ込ませていますが、主に設定について解説する役を担っているダルマの「解説」が下手糞すぎます。
無駄にどもりがちなヒロインといい、作品全体に及ぶセリフの読みにくさは、設定の理解を大きく阻害する要因になっているのかなと。

「NARUTO」後半に於いて、セリフの分かりにくさは既に出ていました(特に敵側のドラマで「何が言いたいのか」「何をしたいのか」がまるで伝わってこなかった) が、個人的に「岸本先生の悪癖」と呼べる部分が今作でも色濃く出てしまっていると感じております。

SFって入口さえ抜ければ、あとは設定の難しさが気になることは無くなると思うのですけれど、入口で躓いてしまった感はありましたね。
もう少しセリフを整理して、分かりやすくを念頭にネームを切っていれば、ここまでの評価にはなってない気がします。

ただ、一通りの設定の説明は終えました。
つまりは入口は過ぎた訳で、ここから先は説明された世界観の上での冒険が本格化してくる段階です。
冒険パートで「最近、面白いぞ」と思わせられれば、改めて最初の小難しい設定説明パートも読んでもらえるんじゃないでしょうか。

(2)侍がグロい

個人的に未だに抵抗感が強いのが侍の設定。
侍がサイボーグと言う点で斬新だなと思ったのですけれど、頭がパカッと開くところは、何回見ても慣れません。
格好悪いというかダサいというか…グロい。

とはいえ、これは時期に慣れるところではあるのでしょう。
思い返せば「ONE PIECE」の時がそうでしたから。
第1話を読んだ時点ではゴム人間の格好悪さに「ここさえ違っていれば」と思っていたものですけれど、すっかりと慣れてしまいましたし。

侍がサイボーグと言うのは、この作品の設定に於ける肝なのでしょうから、そこを否定してはいけないという気持ちもあります。
何れ慣れる筈です。

けれどね、この「侍はサイボーグである」というところを悪い意味で使いこなしていると感じたのです。
それが第19話で感じた不安要素。

違う。そうじゃない。

サムライは死なない。
腕を切っても、頭を斬られても大丈夫。
接合面をくっ付ければ、癒着して時間が経てば元通り。
これがサムライの特徴の1つなのでしょう。

他には中々ない設定なので、バトルで上手に活かせば、今作独自のバトルが作れそうです。
八丸自身その可能性に気づいているのか、今回の特訓でその片鱗を見せたわけですけれど…。

勝負に勝つために、自分の首を自分で落とすという荒業を披露。
やっと勝った~と喜ぶ八丸。
「強くなるんだ 何が何でも!!」という煽り文句もついてますが、いや、ダメでしょこれは。
侍と言うより最早ゾンビを名乗って欲しいレベル。

首の前に、右腕と共に刀も飛ばしてしまった八丸。
これは一太刀浴びせれば勝敗が決する特訓だったからまだしも、本当の闘いならば愚策も良いところですよね。
魂とまで呼んでいる「唯一の武器」である刀(侍魂)を投げてしまったのですから、勝負を投げたようなもの。
刀を回収する手段が無ければ、次の一手で負けが確定します。
そもそも侍が大事な刀を投げてる時点で、「侍という生き方」に反すると思うのですが…。

本番を想定した特訓で、こういう勝ち方をさせた上で、それが正しい道のりであるかのように終わらせる。
次回冒頭でダルマから「それでは駄目だ」と否定が入れば問題ないのですけれど、どうもその気配は感じられません。
もしこのままダルマがこの戦い方を認めたならば、「侍とはかくあるべき」と滾々と説いてきたこれまでを否定しかねない事態になります。

侍はサイボーグであるという点を活かしたバトルは、この作品のアイデンティティにも関わってきそうなポイントです。
大事なところだと思っているのですけれど、こういった方向性で打ち出されると「違う。そうじゃない」と言いたくなります。
世界観を考えている作者に対して、一読者が「違う」と否定することほど滑稽なことも無いとは承知していますけれどね。

終わりに

今のままなら打ち切られても納得出来ちゃうのですけれど。
1話が中々良かったと感じた手前、第1話がピークと言われないような盛り返しを期待したいのです。

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