少年ジャンプを参考書にバトル漫画に於ける悪の美学について考える

この記事は

少年ジャンプの悪役についての記事です。
ネタバレがあります。

ピカレスク浪漫

悪役は少年バトル漫画に於いての花形です。
主人公な仲間キャラ、ストーリー、世界観とどれだけ魅力的なものを並べても、悪役がしょぼかったらやっぱり残念な気持ちになりますよね。
僕はなるんです。

最近魅力的だと感じたのは、「鬼滅の刃」の鬼舞辻無惨です。
彼が何故悪役として魅力があるかを説明出来ればと思います。
そこで、少年ジャンプの歴代の悪役を振り返ります。

尚、「鬼滅の刃」最終章のネタバレがあります。
現時点(2020年5月8日)でコミックス未収録部分ですので、ご注意ください。

和月先生と「悪役」

このお話をするにあたって外せないのが和月伸宏先生です。
先生はJC「るろうに剣心」の中で、度々悪役についての持論を書かれていました。
最も端的に纏められていたのが「剣心華伝」90ページ。
抜粋しますね。

(人誅編では)基本的に、十本刀より悪いやつを描きたかったというのがあったんです。
「敵役(かたきやく)」と「悪役」の違いなんですけど…要するにひとことで言うと『剣心』の敵キャラは「敵役(かたきやく)」ばかりなんですよ。
敵として存在するけど、悪として存在するのは少ないんですね。
志々雄ですら「敵役」ですから。
読者が心の底からこいつをぶっ倒してしまいたいと思う「悪役」キャラがいないんですね。
それに気づきまして、悪役を描いてみたいと思ったんですけど……。
ダメでしたね(笑)
今後のために勉強しなきゃなと思います。

ここで和月先生は悪役の失敗例として六人の同志を挙げています。
首魁の雪代縁は元より「敵役」の立ち位置ですので、それ以外の5人についてどこがどう「失敗」だったのか持論を書いてみます。

鯨波兵庫

縁を除いて、唯一剣心へ復讐心を持っていたのが鯨波でした。
復讐の鬼として、最初から殺人マシーンとして立ち塞がることが出来ていれば「悪役」なり得たかもしれません。
和月先生は当初の構想として「ターミネーター的キャラ」をしようとしていたと25巻の「登場人物制作秘話」で述べています。
魚沼宇水でやろうとしたことのリベンジの予定でしたが、色々あって出来なかったようです。

この「ターミネーター的キャラ」というのが、具体的にどのようなものであったのかは想像するしかないのですが、恐らく「ターミネーター2」のT-1000をモデルにするつもりだったのではないかと予想します。

子供の頃に「T2」を初めて見ましたが、T-1000は恐怖でしか無かったですもの。
無表情で人を殺して、変身して、街を壊しながら追ってくる。
再生能力も高いから、何をしてもすぐに直しちゃう。
例え閉じ込めても、僅かな隙間から液状になって出てくる。
じわじわと真綿で首を絞めるかの如く、ゆっくりゆっくり歩きながらなのが余計に不気味でした。

鯨波も殺意以外の感情を殺して、剣心を追うだけの人殺しマシーンになってたら、敵役なり得たのかもしれません。
それなのに実際の鯨波と言えば。

赤べこにて「一番安い飯(麦飯)ではなく鮭飯」を振舞った関原妙への対応がこちら。

常識人。

初登場時からこれですからね。
笑顔で、同情してくれた妙に対して礼を述べる。
食べ終わってからも店じまいの時間に邪魔になるからと早々に立ち去ろうとするなど、まさに常識を持った善い人。
最初から悪役なんて無理だったんやぁ。

弥彦との戦いなど名シーンを残してくれたこともあって、敵役としては僕は好きなキャラなのですが、和月先生の目指すところの「悪役」には程遠い存在でしたね。

余談ですが、落人村から復活した剣心が一陣の風となって三条燕の前を通り過ぎて行くシーンが大好きです。(第二百二十五幕「その時、一陣の風」の2ページ目)
涙を流し、絶望に沈む燕の顔が、コマが変わるたびに歓喜の表情に刻々と移り行く姿は、今見ても感動します。
和月先生は剣心の廃人期間を引っ張りすぎたとされていますが、僕は「あれほど深く長く落ち込んだからこそ」の感動だったと思うんですよね。
当時リアルタイムで読んでた頃は、確かに鬱々とした気分だったし、長いなぁとは思ってましたけれど、コミックスでいっきに読むとまた違いますから。
燕の表情の変化で、剣心復活の喜びを端的に描いた1ページは、「剣心」全体を通してもトップクラスの名シーンです。

戌亥番神

「威勢のいい馬鹿」(和月先生談)
性格設定の時点で、悪役とは程遠い位置にいる気がしないでもない。
とはいえ、味付け次第ではあるのですけれど、戌亥が明確に「失敗」の烙印を押されているのは事実。
作中で左之助にズバリ指摘されていることが全て。

割とボロクソに言われていましたが、特に「弱い相手としか戦わない」のは、事実はどうあれ、そう思わせてしまう時点でダメ。
ガキ大将じゃないんだから、相手を選んでる時点で小物臭半端ありません。

左之助との戦いは、左之助の格好良さを際立たせる為だけの存在になってましたね。
寧ろ、左之助こそ「威勢のいい馬鹿な悪役」に相応しい矜持を持ってましたよ。

二重の極みで蓄積した右手のダメージは、あと一発撃ったら壊れてしまうほどでした。
そう恵に忠告されても、拳を納めなかった左之助。
中途半端な戌亥に対して、極めるとはどういうことなのかをこの姿勢だけで示していたように感じました。

強い信念は魅力的なキャラには必要ですし、それは悪役も同じ。
斬馬刀を失って以降は特に拳一つで戦ってきた左之助。
壊れる寸前だろうが構わずに、相手を叩き潰すために拳を、奥義を出し惜しまない。
戦士として己の拳に信念を持っているからこそ、壊れることを厭わない。

向こう見ずな馬鹿な部分は、「悪役・戌亥」の理想形とも言えるんじゃないでしょうか。

乙和瓢湖

「もっともっとサディスティックで、小狡賢い奴にしたかったのですが、力足らず、納得いく出来栄えではありませんでした。」とは和月先生の談。
少しずつ傷を負わせて、嬲り殺すような戦法を弥彦に対して取っていることが理想だったのかもしれません。
暗器に(致死性の無い痺れ薬などの)毒を仕込ませていたら良かったのかもしれない。

で、乙和も戌亥と同じで「弱い相手としか戦わない」タイプ。
戌亥とは違って、明確に本人が匂わせている分、余計に悪役とは言い難いことになってました。

元々愉悦で暗殺を行う快楽殺人者なので、悪役としての資質はあるのですけれど、「少年バトル漫画の悪役」というよりかは「犯罪者」としての括りに入るのかなと。
「自分が敵わない相手には手を出さない」という点をおくびには出さずに、殺人を愉しんでいれば悪役に入るのかなと思います。

外印

美という絶対的な信念を持っていて、その為に全ての言動が一貫していた。
美のためには、墓荒らしも厭わずに、遺体を弄ぶなど狂人的で悪辣とした行為は、情状酌量の余地など無く。
5人の中では、最も悪役していたと個人的には思うのです。

なので、和月先生のお気に召さなかったポイントがどこなのか考えるのが難しいのですが、強いて挙げるのならば「読者が心の底からこいつをぶっ倒してしまいたい」とまで思えなかったことでしょうか。

乙和と同じく「犯罪者」なんですよね、外印も。
ミステリやサスペンスの死体損壊(罪としては「殺人罪」に等しい程惨いことをしたと思ってます)事件の真犯人としてならば、文句ないのでしょうね。
これ以上ないサイコパス感が出てて魅力的(あくまでもフィクションのキャラとしての魅力)な悪役と言えそうです。
ただ、やはりバトル漫画の悪役としてみると、極悪感が不足していたのかもしれません。

八ツ目無名異

斎藤相手だと、同情を禁じ得ないですね…。
剣心と違い「悪・即・斬」に生きる斎藤は、殺しも厭わないですから、味方が思わず悲鳴を上げるほどの戦いっぷり。
斎藤の方が悪役ぽく見えてしまうのですから、もう仕方なかったとしか言えません。

和月先生も仰ってましたが、八ツ目云々ではなくて、キャラが強すぎる斎藤の前では悪役を演じるのは難しいというか、無理なんじゃなかろうか。

「悪役」と「敵役」

同情する余地の有無。
ぶっ倒したいと思えるかどうか。
簡単に言えば、この2点が「悪役」と「敵役」を分ける点でしょうか。
更には、やはり信念を持ってるかどうかも大きいかな。
野望と言い換えても良い。
バトル漫画の悪役たるもの、大いなる野望を持っていて欲しいかな。
チンピラや犯罪者とは違う部分だと思うのです。

和月先生は「敵役」としていて、僕もそこに異論は無いんですが、志々雄誠は格好いい敵役だったと思いますね。
同情する余地があって、あまりの格好良さに逆に「ぶっ倒したい」と思えなかったのが玉に瑕。
和月先生が理想とするピカレスク要素を詰め込んだと言うに値する人物でした。

「DB」と「OP」の「悪役」

和月先生の考える悪役。
同じく「剣心華伝」のインタビューの当該箇所では、「悪役を作るのを上手い作家先生」として、鳥山先生と尾田先生を挙げておられました。
個人的には、「DRAGON BALL」よりも「ONE PIECE」の方が悪役を上手く描けてると思っています。
というのも、「DB」の悪役ってピッコロ大魔王とフリーザだけなんですよ。
僕個人の感覚では。

ピッコロ大魔王は、紛れもなく悪でしたね。
世界征服を旗印に、歯向かう者、邪魔な者は容赦なく排除。
大魔王の化身ともいうべき、タンバリンら魔族も同様に悪の限りを尽くしていました。
初めて仲間が殺されたのです。愚弄もされました。
「DB」で僕が「心の底からこいつをぶっ倒してしまいたい」と思った最初のキャラクターでしたね。

フリーザも同じです。
目的のためには、星を滅ぼすのにも躊躇しない。
失策を犯したならば、例え腹心であっても抹殺する。
ブレない悪辣さは、「DB」で一番の悪役に相応しいキャラクターでした。

中でも一番ムカついたのは、クリリンを殺したこと。
タンバリンに殺された時は、怒りよりも怖さの方が勝っていたのですけれど、フリーザは違ってました。
バラバラにするというあまりにも残虐な殺し方で、悟空がキレたのも納得ですよ。

その他の悪役というと、そこまで「悪役」ってイメージを持ってないんですよね。
セルは、確かに人を殺しまくったりしましたけれど、強くなるためという悟空達と同じ動機だったので「ぶっ倒したい」というまでには至らず。
特に完全体になってからは「武人」染みてましたからね。

ブウは子供。
子供特有の無邪気な残酷さは持ってましたけれど、やはりバトル漫画の悪役としては不足。
純粋ブウは、悪と見做せるのですけれど、悪事を働く前に悟空に斃されましたのでカウントしません。
(昔の悪事はノーカウント)

あとは、桃白白やブラック補佐が候補ですけれど、前者はラスボスではないので除外。
ブラックは、組織としては悪いことをしてましたが、個人としては特に何もしてないですからね。
作中でしたことと言えば、レッド総帥を撃ち殺したことと悟空を迎え撃ったことくらい。
悪い奴なのは間違いないですけれど、悪役としての格は落ちるかな。

「ONE PIECE」はそこいくと「悪役」ばかり。
モーガン、クロ、クリーク、アーロン、ワポル、クロコダイル…。
出てくる悪党、全員ムカつくほどの悪役。

特に印象深いのはアーロンとクロコダイル。
彼らについて語る前に、大事なことを1つ提示しておきます。
「ONE PIECE」全体に通じているのは、「被害者のドラマ」を丹念に描いていることです。
悪役たちにどれだけ酷い目に遭わされてきたのかが提示され、読者は先に被害者(や遺族)にたっぷりと感情移入しちゃうわけですよ。
すると、悪役たちの外道ぶりが際立ち、より強く「ぶっ倒してやりたい」感が盛り上がります。
この効果は、悪役の「悪役らしさ」を引き立たせ、悪役個人の魅力と分けて語るのは難しいと考えます。

このことを踏まえまして、アーロンについて。
魚人海賊団アーロン一味船長のアーロンは、端的に言ってクソ野郎でした。
突如ココヤシ村に現れては、全ての村人に食べてはいけないレベルの重い税金を強いて、納められないと見るや問答無用で殺す。
これだけでも噴飯ものですが、一番惨かったのがナミの扱いですね。
仲間を重んじ、また、「金の上の約束は守る」ことを信条というアーロンは、ナミと「海図を描く代わりに1億ベリーでココヤシ村とナミ自身を開放する」と約束を結ぶ。
しかし、全ての海を制覇し、人間を駆逐した魚人だけの世界を築き上げ、自らがその頂点に立つという野望のためにナミの海図を描く能力を望むアーロンは狡猾な技を用いてました。

ただでさえ孤立無援の中、8年間戦い続けたナミと村人。
海軍まで敵だと分かる(ネズミ以外の海軍はしっかりとアーロンに敵対してます)のだから、その絶望感は筆舌に尽くしがたいですよ。
僕ですら狡猾で残忍なアーロンに強い憎しみを覚えました。

壮大な野望を持っており、その為にココヤシ村を中心としたコノミ諸島全域を実効支配。
暴力と策略で恐怖政治を敷く様は、まさに悪の権化と呼ぶに相応しいものでした。

アーロンに紙幅を割いてしまったので、クロコダイルはあっさりと振り駆りますが、基本的には一緒。
七武海を隠れ蓑に、表では「正義の海賊」、裏では「犯罪組織のボス」の2面性を使い分け海軍とアラバスタ王国の人々を欺いていました。
目的のためには手段を選ばない悪辣さ、仲間にさえ手をかける冷酷さも併せ持っていた。
女王ビビの目を通して、クロコダイルの悪党ぶりを描写しているので、読者のクロコダイルへの怒りを見事に誘発出来ているんです。

悠然とした態度やルフィを2回も破った圧倒的な戦闘力もあって、ラスボスとしての風格を纏っていました。

バトル漫画の悪役は当然のことながら、圧倒的な戦闘力を有することは最早必須と言えるでしょう。
その上で大いなる野望を持ち、性格も残忍で冷酷であること。
大物感を漂わせていれば、尚良しでしょうか。

「鬼滅の刃」の「悪役」

最後になりましたが「鬼滅の刃」を鬼舞辻無惨中心に振り返ります。
そうすると主人公である炭治郎の「鬼にすら同情する優しさ」に違った一面が見えてきます。

そもそも始祖の鬼である無惨を除いて、全ての鬼は「被害者」です。
一部望んで鬼化した者もいたとしても、「鬼にされてしまった人間」です。
彼ら彼女らは、無惨にとっては部下でも何でもありません。
敵対する鬼殺隊を斃す駒であり、鬼の進化を無惨に提示する為の「蟲毒の中の虫」に過ぎません。

つまりは、「悪役」と「敵役(かたきやく)」の違いなんですよ。
十二鬼月以下全ての鬼は「敵役」。
鬼舞辻無惨が作中唯一の「悪役」なのです。

そうは言っても無惨以外の鬼たちも大抵酷いことをしてます。
沼の鬼とか度し難い奴だったし、童磨は「悪役」に分類すべき輩です。(童磨は例外として良いとも思う)
残忍に、狡猾に、人を喰ってきた鬼達に慈悲は無しとしたいところですが、炭治郎がそうはさせてくれないんですよね。
我らが主人公が同情しちゃうんですよ。
自分だって家族を殺され、妹を鬼にされ、現在進行形で酷い目に遭ってるにもかかわらず、鬼に涙しちゃう。
炭治郎が彼ら彼女らを「敵役」にして、「被害者」だよと僕ら読者に「説明」してくるんです。

無惨自身の描写が無くても、無惨へのヘイトが溜まるような仕掛けが機能してるんです。
炭治郎の「優しさフィルター」が鬼すら被害者に見せて、「鬼に殺された人々」という大きな括りの中に纏めている。
自然と膨大な数の被害者にたっぷりと感情移入させられ、全てのヘイトが無惨に向く。
最終章で無惨自身にたっぷりと悪逆非道な活躍をさせてヘイトが最高潮に達するような構成。

こう考えると、炭治郎が同情を寄せるか否かが「悪役」と「敵役」の分水嶺となっているわけです。
で、最終章の炭治郎がこちら。

無惨だけが「悪役」認定された瞬間ですね。
炭治郎にここまで言わせるんだから大したものです。

最終章を除くすべてが「被害者のドラマ」となり、全ての怒りが無惨へと向くように作られている「鬼滅の刃」。
だからこそ、無惨の悪役の魅力はこれまでになく高く感じるのだと思います。

終わりに

主人公の目線で「敵役」を作るというのは、斬新な手法だなと思った次第。

かなり助長な記事になりました。
最後までお付き合いいただけた方、お疲れさまでした。
ありがとうございました。

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